森の生家は東京都港区で米問屋と貸家業を営んでおり、関東大震災以降、都心を中心に買い集めた土地を所有していた。第二次世界大戦後、森は新円切り替えに伴う預金封鎖を見越して、封鎖直前に資金を引き出し、今後需要が伸びると予測した人絹(レーヨン)を大量に購入する。思惑通り、レーヨン価格は高騰し、その売却益で都心の土地をさらに買い進めた。
しばらく不動産業と大学教授の二足のわらじを履き続けた森だが、55年に森ビルの前身となる森不動産を立ち上げた後、59年には大学を退職して不動産事業に専念することになる。55歳のときである。
森ビルは、第○○森ビルといった竣工順に番号を付した貸しビルを、新橋や虎ノ門周辺に次々に建設し、さらに大規模再開発事業にも進出した。その最初が86年完成の赤坂アークヒルズだ。森が赤坂周辺の土地を買い始めたのは67年ごろ。今回の78年9月2日号に掲載された森のインタビューでも、まだ計画の段階だったが、完成したら街の様子がどう変わるか、楽しそうに語っている。
計画当時は住民の反対運動が激しかったというが、37階建てのオフィスビル(アーク森ビル)、ホテル(ANAインターコンチネンタルホテル東京)、集合住宅(アークタワーズ)、コンサートホール(サントリーホール)、放送局(テレビ朝日アーク放送センター)などで構成されるアークヒルズは、その後の大規模都市開発の手本となった。
仕事の楽しみについて森は、「着工するときが楽しいですね。土地というのは、いくらにも細分化されたり、権利者が錯綜したりしている。それを1000坪でも2000坪でもまとまるまでの苦労は大変なものだ。それができて、さあ着工という地鎮祭ですね」と答えている。さまざまな生みの苦しみとリスクを背負った上だからこそ味わえる、経営者ならではの喜びなのだろう。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
良いビルを建てて
街の様子や土地柄が良くなることが願い
1978年9月2日号より
──これまでに建てたビルは全部で幾つありますか。
さあ、幾つあるかな……。
──自分の財産が幾らあるか数え切れない人のことを本当の金持ちというんだそうですね。
いやあ(苦笑)、というよりも自分が持ってるという気持ちがないから、関心を持たないんじゃないですか。良いビルを建てて、街の様子や土地柄が良くなることが私の願いです。お貸しして家賃は頂いているけれども、お客さまがお使いになっているのですから、あんまり自分のビルという気がしてないんです。管理はしてサービスも心掛けますが、できたものは公共的な性質のものですから、食べ物や着物のように戸棚やたんすに入れて自分のものと思うことができないものですからね。