技術屋主導の三菱自だったが、軽自動車から大型トラックまで世界に類を見ない総合自動車メーカーであり、三菱グループをバックとし、90年代初頭にはトヨタと日産を追う第3勢力から抜け出て「日産の背中が見えた」と豪語したトップがいるほど隆盛を誇っていた。ホンダがオデッセイで復活する前には三菱自がホンダを吸収統合するという銀行筋からの情報が流れたこともある。

 だが、1990年代後半から三菱自動車は長い苦難の道のりに入る。

 96年に米国工場でのセクハラ問題、97年の総会屋利益供与事件、2000年のリコール隠し事件と続き、04年にトラック・バス部門で大規模リコール隠し事件が再発する。そのきっかけとなった事件は、池井戸潤氏の小説「空飛ぶタイヤ」のモデルになったとされる。

 三菱自は米ビッグ3の一角であったクライスラーとの資本提携を1993年に解消したが、これら一連の不祥事で経営不振に陥り、2000年には独ダイムラーとの資本提携に踏み切り、ダイムラー主導による再建が進められた。

 しかし、再度のリコール隠し事件で2004年にダイムラーから資本提携を打ち切られて(ダイムラーはトラック・バス部門の三菱ふそうだけを子会社化)、三菱自は深刻な経営難に陥る。

 そこで、スリーダイヤグループによる三菱自救済となる。三菱重工・三菱商事・三菱UFJ銀行・三菱UFJ信託銀行を主体とする優先株発行で窮地を乗り切り、三菱商事自動車事業本部長だった益子修氏が2005年に三菱自の社長に就任した。

 以来、益子三菱自体制が続くわけだが、2009年には世界初の量産型EV「i-MiEV」(アイミーブ)を市場投入して話題となり、三菱自の技術開発力を示したこともある。

 だが、2013年に三菱主力企業への優先株処理にめどをつけて自立経営の方向に進んだ矢先に燃費不正問題が発覚、当時の相川哲郎社長が退任し、益子会長が社長に復帰したのが2016年だ。

 燃費不正問題でまたも経営窮状となった三菱自に手を差し伸べたのは、前述した通り、ゴーン氏が経営トップを務めていた日産だった。

 ルノー連合で世界覇権の野望を抱いていたゴーン氏は、三菱自の株価が大きく下落していたこと、そして三菱自の世界販売を加えると3社連合で1000万台規模になることから、電光石火で三菱自との資本提携(34%出資)を決めたのだ。

 益子三菱自社長は、再び三菱グループからの全面的支援をあおぐのは難しいと判断し、ルノー・日産陣営入りを選んだ。

 日産は、直ちに主力の人材を三菱自に送り込んで日産主導の再建に乗り出した。