東野純直さんが語る、コロナ禍でのラーメン店と「明日のカタチ」

さまざまな人がそれぞれの生き方・働き方でコロナ禍の2020年を過ごしているが、この人の生き方はかなり希有なものだ――東野純直(あずまのすみただ)さん。90年代にミュージシャンとして華々しいデビューを飾り、都内の人気ラーメン店で8年間修業。その後、ラーメン店を開業し、厨房に立ちながらアーティスト活動を続けている。そんな東野さんが、飲食店の経営者として、数々の楽曲を生むミュージシャンとして、ウィズコロナの時代に考えること、抱く思いは何か?(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部) 

*本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティ マガジン 「Oriijin(オリイジン)2020」の記事「ココロ之ありか/東野純直 ミュージシャンとミスター・コックの二重人生」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。

緊急事態宣言によって、営業日数と時間を短縮

 東野純直さんは、1993年にシンガーソングライターとしてCDデビュー。セカンドシングルの『君は僕の勇気』がセールス30万枚のヒットとなり、ミュージシャンとして順風満帆なスタートを切ったが、音楽活動とともにラーメン店の厨房に立つ“二足のわらじ”の理由は何か。

 「音楽を長く続けるためです。CDセールスが20万~30万枚のヒットだけでは、一生食べていけるだけのお金は入ってきません。別のインカム(収入)を立てるため、大好きだったラーメン店で修業させていただこうと、ある日、お店の門をたたいたんです。そこは、(当時の)僕が所属していた音楽事務所の近くで、こんなにこだわりのある美味しいラーメンを作れるところだったら、生きる指針も見つかるだろうと思って…」

 30代半ばでのライフスタイルの転換――ご多分に漏れず、店舗での修業はつらいことが多かったという。それでも、自分を奮い立たせ、お客さんとのコミュニケーションに喜びを見いだし、8年におよぶ修業生活を経て、2016年に「支那ソバ 玉龍」(東京都昭島市)をオープンした。

 「ミュージシャンとして伸びていた鼻が修業時代に少しずつへし折られたのが良かったですね。鼻が伸びたままだったらラーメン店は開けなかっただろうし、良い曲も創れませんでした。きちんとした商品をお客さまにしっかり届けることは、ひとつの曲も一杯のラーメンも同じです」

 “ミュージシャンが経営するラーメン店”という看板によりかからず、クチコミサイトでも評価の高い“味の確かさ”で「支那ソバ 玉龍」は地域の住民に愛され、街に欠かせない銘店になった。しかし、そんな良き日常を新型コロナウイルスの感染拡大が襲った。

 「緊急事態宣言が出て、営業日数と時間を短縮しました。週休2日で昼だけの営業…当然、売り上げはガタ落ちです。前年比60%ダウンまでいきましたね。街を歩く人もほとんどなく、店を取り巻く景色が一変したんです」

 飲食店の経営者として、光明の見えない苦労はかなりのものだった。そんななか、東野さんは商品(ラーメン)の通信販売でピンチの壁に挑んでいった。

 「通販は、結果的にコロナ禍での展開になりましたが、実は、以前から計画はあったんです。(ミュージシャンとしての)僕の物販サイトがすでにあって、そこにラーメンも載せて販売しよう、と。専門の業者さんにお願いせず、封入から梱包・発送までをすべて僕自身でやっています。麵やスープ、チャーシューやメンマをそれぞれの袋に入れて冷凍し…おかげさまで、たくさんの注文をいただき、商品を作りながら泣きました。皆さんのご厚意に、リアルに泣けてきたんです。経済的なリカバリーもできましたが、それ以上にお客さまとの絆を再確認でき、『ああ、本当にありがたい』と、感謝の思いを強く持ちました」

東野純直さんが語る、コロナ禍でのラーメン店と「明日のカタチ」

東野純直(Sumitada AZUMANO)

1992年、ミュージック・クエスト世界大会で審査員特別賞を受賞し、93年に「君とピアノと」でデビュー。セカンドシングル「君は僕の勇気」でブレイクし、昨年2019年4月に通算13枚目となるアルバム「Mr.cook」をリリースするなど、これまでにオリジナルアルバム13枚、シングル23枚をリリース(最新シングル「明日のカタチ」)。楽曲提供・ラジオDJ・声優もこなすマルチプレーヤー。支那ソバの銘店での8年間の修業後、東京都昭島市に「支那ソバ 玉龍」を開店し、飲食業界でも話題を呼ぶ繁盛店として地域の支持を得ている。
【LIVE】
11月1日(日)(東京)江東区文化センター
時間:開場16:30/開演17:30
料金:前売り6,000円(税込み/ドリンク代は不要)
詳細は、オフィシャルホームページで。