リスクを取ってでも、人と違う道を行くことを選ぶ若きリーダーたちは、何を原体験に、どう育ってきたのか。今回は、外泊するほど家賃が安くなる住居「unito(ユニット)」を展開する近藤佑太朗さん。両親とも教師という家庭に育ち、「人生を楽しむために、楽しいことをしてお金を稼ぎたい」という思いを持ち続けたそうです。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

幼少期はルーマニア育ち
日本の小学校に違和感

――幼少期はルーマニアで育ったのだとか。

近藤佑太朗・Unito CEO社長になる夢を固めて以来、書きまくった「Boys be Ambitious(少年よ大志を抱け)」 Photo by Masato Kato 拡大画像表示

 はい、生まれたのは東京ですが、父の仕事の関係で、両親と僕の家族3人でルーマニアへ行き、小学校に上がるまで過ごしました。父は結構優秀な小学校教師で、1997年から2001年まで、文部科学省の特派員制度を使って、首都ブカレストの日本人学校で教えることになったんです。

 僕は英国系インターナショナルスクールの幼稚園に入りました。アジア人は他に韓国人が1人だけで、黄色人種はマイノリティー。そんな環境で、イスラエル人のガキ大将にいじめられたのを覚えています。たぶん、僕が英国人とポーランド人の女の子にモテていたからだと思います。

――どんな国でしたか。

 当時はチャウシェスク政権が倒されたルーマニア革命からまだ10年ほどだし、EU(欧州連合)には未加盟で、治安は悪かったです。周りはみんな、ダチアという国産車に乗っているのですが、うちはドイツ車に乗っていたので、停車するとストリートチルドレンが集まってきます。あるとき後部座席にいた僕の方へ兄弟らしい子がやって来て、その兄弟と窓越しに目が合ったんです。その途端、唾を吐かれました。そのとき、「ああ、僕はこの兄弟とは違うんだな」と感じました。それが、ルーマニアでの一番の記憶です。