時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。第2回は自動車メーカー勤務の傍ら、2050年までに空飛ぶクルマ「SkyDrive」を開発して、誰もが空を飛べる時代を創ることを目指す有志団体「CARTIVATOR(カーティベーター)」を立ち上げ、プロジェクトリーダーを務める中村翼(なかむら・つばさ)さんです。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集長 深澤 献)

理想のクルマを
自分で創るという夢

──子供のころから、乗り物が大好きだったそうですね。

 特に新幹線が大好きで、小学校が早く終わる水曜日には、東京駅まで行って新幹線の写真を撮る“撮り鉄”でした。特に、山形新幹線のつばさは、同じ名前ということもあって、私のヒーロー。どうしても乗りたくて、小学校3年生のときに、お年玉を使って一人で乗って山形まで行き、そのまま帰ってくるという旅行をしたことがあります。

 小学校高学年になると、関心が新幹線から自動車に移りました。きっかけは、フェラーリF80のプラモデルを作ったことです。新幹線もスポーツカーも流線形ですが、本能的にそこに引かれていたのでしょう。近所にフェラーリが止まっていると聞けば、友達を誘って見に行ったりしていました。

 またクルマには、電車とは違って、自分で改造できるという魅力もあります。すぐにクルマ雑誌に熱中するようになり、「自分の理想のクルマを自分の手で創る」ということが夢になりました。

──ものづくりも好きだった?

 工作用紙とはさみとセロハンテープさえあれば何時間でも遊べる子供でした。ただ、両親は理系ではないですし、ものづくりをしているわけでもありません。兄もそうです。作るのが好きなのは私だけでしたが、山形行きも含め、両親は私のやりたいことをやらせてくれました。

 クルマにはまってからは、レースも見に行くようになりました。最初に行ったのは富士スピードウェイでの、今でいうスーパーGTです。父親が朝早くから運転して連れていってくれました。レースでは衝撃音とスピードがものすごくて、これなら友達もはまるだろうと思い、その後は誘うようになりました。父もそうですね。最初は、私がどうしてもと言うので運転を買って出てくれたのですが、徐々にレースそのものにはまっていったようです。

──「理想のクルマを自分で創る」という夢を叶えるため、どんな準備をしていましたか。

 理系に進む必要があるだろうと考えましたし、中学生になったころからは、知り合いを頼って自動車メーカーに勤める人やレーシングチームの運営会社に話を聞きに行っていました。インターネットもありましたが、まだそれほど詳しい話は出ていなかった時代です。