12月12日に開催された、発売7周年記念の『嫌われる勇気オンラインフェス』(嫌フェス)。5時間超にわたって配信されたイベント内から、各企画のダイジェスト版をお送りします。
今回は、「ほぼ日」代表・糸井重里氏、ひろのぶと株式会社代表で『読みたいことを、書けばいい。』著者の田中泰延(ひろのぶ)氏、そして『嫌われる勇気』共著者の古賀史健氏による生鼎談です。
普段から交流のある3人のトークは、事前打ち合わせ一切なし。にもかかわらず、青年のキャラクターが持つ魅力から「自己啓発」というジャンルについてまで75分間盛り上がりっぱなしで、話が尽きることはありませんでした。
こちらの記事では、トークの一部を再編集してお送りいたします。全編はアーカイブにございますので、笑いの絶えないお三方のやりとりをぜひご覧ください。(構成/田中裕子)
『嫌われる勇気』と3人の出会い
古賀史健(以下、古賀) 今日は来てくださってありがとうございます。ほんとう、こんなご時世に。
糸井重里(以下、糸井) はい。しっかり、マスクをつけて来ました。
田中泰延(以下、田中) オンラインでもいいって古賀さんに言ってもらったんですけど、やっぱりこういうのは会うのが大事だろう、ということで今日は大阪からやって来ました。こうしてアクリル板越しにお話しするのも、時代ですねえ。僕ら、事前打ち合わせはしなかったけど、踊りの練習はしましたよね。
会場 (笑)
――それではまず、なぜこうして #嫌フェス で鼎談をすることになったのか、お三方はどのような関係なのか、というところから伺ってもよろしいですか?
古賀 7年前に『嫌われる勇気』ができたとき、糸井さんに手紙をつけて献本させていただいたんです。そうしたら雑誌『ダ・ヴィンチ』の書評コーナーで取り上げてくださって、「読んでもらえたんだ!」って。あれは飛び跳ねるほどうれしかったですね。糸井さん、覚えてらっしゃいますか。
糸井 ……(神妙な顔でうなずく)。
古賀 ……らっしゃいませんね(笑)。
田中 僕がはじめて糸井さんとお会いしたのは京都だったんですが、そのとき「東京で一席設けよう。古賀さんにも会わせたいし」と言われて。あ、その顔、さては覚えてないですね!?
糸井 いまおふたりが話したことは、まーったく。でもおれ、「一席設ける」なんて代理店言語、ぜったい使わないと思うんだよねえ。
田中 いや、「料亭で」って昭和の巨悪っぽく言ってました(笑)。
会場 (笑)
糸井 ともあれね、みんなを古賀さんに会わせてみたいっていうのはあったんですよ。もともと古賀さんとぼくがはじめて会ったのは、堀江(貴文)さんの『ゼロ』のプロモーションでほぼ日のオフィスに来てくれたときです。
そのときは『ゼロ』の編集を担当していた加藤貞顕さん(現・note株式会社代表)がメインで話していて、古賀さんは無口な好青年って印象でした。で、「文章はこっちの人が書いてるんだよな」となんだか気になって。あれは『嫌われる勇気』発売の直前ですよね?
古賀 そうですね。そのあと、糸井さんに取材させていただいたり、ほぼ日さんにおじゃましたり、社内外のイベントまでついていったり(笑)、という感じでお付き合いが深まっていって。
糸井 そう。だから『嫌われる勇気』発売時は、そこまで親しくなかったと思います。