漫画の集中線と『カラマーゾフの兄弟』
糸井 さっき劇画の話をしましたけど、日本の漫画表現ってものすごく優れていていて、「本は読まないけど漫画だったら読む」って人は多いじゃないですか。
で、『嫌われる勇気』を読んでみて、その表現は文章でもあり得るんだなとびっくりしました。要は、鼻息荒くしたり汗を飛ばしたり、漫画でいうところの「集中線」が入ってる。これは発明だと思うんですよ。
田中 たしかに!
糸井 古賀さん、noteで推敲中の原稿を見せてたでしょう。あの赤字も劇画を描くような勢いがあるよね。
田中 ああ、冷静に、「集中線」を足したりしてますね。
古賀 そうですね。糸井さんのたとえを借りるなら、漫画の「吹き出し」のなかにあるような言葉を選んでいきました。ちゃんとした話しことば、というか。
糸井 でも古賀さん、こんなの書きつけてないでしょう。
田中 ふだんの古賀さんのボキャブラリーじゃないもんねえ。あ、でもみなさん知ってますか。古賀さんは若いころ金髪で、腹筋を鍛えていて……。
会場 (笑)
糸井 実際、その要素はないの?
古賀 反抗したい、反発したい、って気持ちは強いです。ぼくの中には青年の成分、ものすごくありますね。
ただ、青年のことば遣いは劇画よりも、演劇とかドストエフスキーの小説に出てくる饒舌な喋りやさんたちから引っ張ってきました。だから明治時代、大正時代の言葉なんです。
田中 なるほど。『カラマーゾフの兄弟』なんて、みんなめちゃめちゃ饒舌ですもんね。相手がなにかしゃべると、「はっ! わたしにはそう思えませんね! なにを言っているのかわからない!」ってまず反発するし。
僕が個人的におもしろかったのが、『嫌われる勇気』を読みはじめたときは「アドラーなんて知らないぞ」って青年の気持ちに沿ってるのに、読み進めるうちにだんだん哲人サイドに立っていたことなんですよ。
糸井 あー、はいはい。
田中 そして最終的には、青年に「しつこいな、バカヤロウ」って思ってる。これが『嫌われる勇気』のすごさですよ。キャラクターづくりがすごいんです!
糸井 でもさ、ここまで強い口調やことばを選んだのって、ちょっと「勇気」がいったんじゃない?
古賀 それは……ぼくにとって編集の柿内さんって、「こいつがおもしろいって言うなら大丈夫」と思える人なんですよね。
彼は優秀な編集者なんですけど、ものすごくインテリってわけじゃない。あくまで一般の人なんですよ。だから、彼がおもしろいと言ったものには普遍性がある。すごく頼りにしていますね。