なぜ青年のキャラクターは「ああ」なったのか

糸井 それでね、『嫌われる勇気』については、一読して「ほめるのがむずかしいな」と思いました。

古賀 へええ。……でもたしかに、『ダ・ヴィンチ』での紹介は、ほめる感じとはすこしちがいましたね。

糸井重里×田中泰延×古賀史健 鼎談――「『嫌われる勇気』を読んだら、困った」理由とは?糸井重里(「ほぼ日」代表)
1948年生まれ。 広告、作詞、文筆、ゲーム制作など多彩な分野で活躍。98年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。近著に『かならず先に好きになるどうぶつ。』『みっつめのボールのようなことば。』 など。

糸井 でしょう。この手の本って、昔のすごい人があんなことを言いました、こんなことを考えましたって1から10まで紹介するものじゃないですか。で、ぼくはたまたま岸見先生の『アドラー心理学入門』も読んでいたし、「アドラーの本だったら、これ以上なくてもいいんじゃないの」ってまず思ったの。

 でも、アドラーはふだん本を読まないような人にも通用する思想だから、あえて対話形式にしたのかなと意図を探りつつ読みはじめてみたんだけど……。

古賀 はい。

糸井 読んだら、すっごく困った。

古賀 ……というと?

糸井 だってこれ、完全に「劇画」なんですよ。青年が絶えずまなじりを決して、哲人に噛みついていてさ。哲学のジャンルでは対話形式ってめずらしくはないけれど、それにしても失礼の度が過ぎるんじゃないかって。

田中 言ってしまえば丸一冊、罵倒芸の本ですからね。僕は青年の悪口が大好きで、一時期ねつ造して遊んでいました。「あなたの論法は種なしスイカに入ってる種のようなものだ!」とか、青年が言いそうで言っていないセリフを勝手につくって。

古賀 さすがです(笑)。

糸井 「ええい、二度と会うものか!」とかね、「いまどきこんなやついないよ」と思いつつ、これ、あのおとなしそうな古賀さんが書いてるんだと思ったらおかしくって。

 ただ、あまりにしつこい反抗ぶりに「こんなやつ会いたくないよ」ってイヤになったりして、このキャラクターは本にとっても損なんじゃないかと思ってたんです。

 でも、だんだんとわかったんですよ。これ、ほぼ日でやってる、「お買い物の前にネガティブなことを伝えていく」手法と一緒だなと。

古賀田中 ああー。

糸井 うちで売っているものは、「手づくりだから染めムラがあります」とか「乱暴に扱うとこわれます」とか、「(お買い物の前に)知っておいてほしいこと」ってページにあらかじめ書いてあるんです。先に欠点までわかってもらったほうがいいから。

 でも『嫌われる勇気』の場合、「アドラーはこういうふうに誤解されることがあります」って先に書いておくわけにはいかない。だから本を読みながら生まれる「アドラーさん、それは違うんじゃないの?」って疑問に対してひとつずつ「いやいや、そうじゃなくて」と示すために、ああいうキャラクターをつくったんだ。……と、理解しました。

田中 はー、なるほど。誤解されやすいポイントを地の文で列記するんじゃなくて、青年に口汚く言わせることでフォローしたと。

古賀 おっしゃるとおりで、ふつうの人はアドラーの思想なんて知りませんから、本の中で1から全部説明しなきゃいけないんです。

糸井重里×田中泰延×古賀史健 鼎談――「『嫌われる勇気』を読んだら、困った」理由とは?田中泰延(ひろのぶと株式会社代表)
1969年大阪生まれ。 株式会社電通でコピーライターとして24年間勤務ののち退職、2017年から「青年失業家」を 名乗り、ライターとして活動を始める。2019年6月初の著書 『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。

田中 たしかに僕も、最初読んだときはアドラーのアの字も知らないから、「ドラー」しか読めないわけですよ。

会場 (笑)

古賀 仕込んできましたね(笑)。

田中 こういうのはアドリブだから!

糸井 僕は田中さんのアドリブが一番好きです。用意してきたやつは面白くないです(笑)。

古賀 はい(笑)。なので当然、こういう反論があるだろう、こんな疑問を持つだろう、という箇所がたくさん出てきます。しかもこの企画は10年ちかく、いろんな編集者に「よくわからない」ってボツを食らってきたので、どんなに誤解されやすい思想かもよくわかっていた。

 こうした反論や誤解を解消するときに本で使いがちなのが、「ここまで読んだあなたはこんな疑問を持ったかもしれません」という持って回った言い方です。「それに対して、私はちがうと言いたい」と続けて。

田中 ああ、よくありますね。

古賀 つまり、著者が勝手に読者と会話する文章にせざるを得ないんですよね。あの手法は使いたくなかった。それで、反論や疑問を自然なかたちで示して、さらに解消していくためには、対話形式にして「青年」のキャラクターを出す必要があると考えたんです。

田中 たしかに、ソクラテスと弟子たちの対話を読むとみんな口汚いですよね。あるいは『新約聖書』でも、イエスの周りの人は割とイエスに対して口汚い。だから、もしかしたら古賀さん、「対話形式で賢者の思想を伝えるときにはだいたい口汚いやつがいる」って研究したんじゃないかなと思ったんですが。

糸井重里×田中泰延×古賀史健 鼎談――「『嫌われる勇気』を読んだら、困った」理由とは?古賀史健(『嫌われる勇気』著者)
1973年福岡県生まれ。 ライター、株式会社バトンズ代表。著書に『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)などがあり、編著書累計1000万部を数える。2014年、ビジネス書大賞・審査員特別賞受賞。

古賀 それでいうと、ソクラテスと弟子たち、あとは親鸞と弟子の唯円の関係は参考にしました。唯円も、けっこう素朴な質問をするんですよ。すぐ「なるほど」って納得せずに、「どうしてもそうは思えないんです」「極楽浄土ってあんまり行きたくないんですけど」と返す。

 すると親鸞も「じつはおれもそうなんだよ」みたいな感じで答えていて(笑)。ぼくは、そこにほんとうのリアリティがある気がします。教義としての「正しい問答」じゃあ、おもしろくないんです。

田中 『歎異抄』を読むと、その親鸞もお師匠さんの法然に「法然さんはウソばっかり言ってるかもしれないけど、ひとまず信じることにして……」と言ってますね。「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて」とか書いてて。やっぱり、ハナから信じる姿勢はおもしろくないんだ。

古賀 ほんとうじゃない感じがしますよね。