まじめに働くサラリーマンの本音と向き合う日々

「オニイサン、マッサージいかがですかー?」<br />大学院卒トライリンガル中国人マッサージ嬢の来し方スタッフのために生活用具一式を揃えている店舗も

「お金を稼ぎたいというのはもちろんですが、なんとなくこの仕事は私に向いているかなって、ピンときたんです。それと店に無料で住み込みをさせてもらえるのもありがたかった」

 現在、飯田橋にあったその「中国エステ」店はもうなくなっている。店で働くマッサージ嬢が客引きもしていた。体力を求められる仕事だったが、源氏名を「ひとみ」と名乗ったチェ・ホアは仕事に邁進していた。

「まだ20代で元気もありましたからね。あの頃はけっこう稼ぎました。入店して3ヵ月で売上ナンバー1になっていましたね。けっして真面目で健全な仕事だとは思いませんが、私にとっては貴重な体験だと思ったし、楽しかったです」

 日中、忙しそうに、まじめに働いている日本のサラリーマン。マッサージの仕事を通して、彼らが基本的には皆優しく、親切でもあることがわかった。その一方で、「酒が入るとすごく甘えてきたり、足で顔を踏んでくれとか、最初はびっくりしたけど、みんなストレス抱えながら頑張っているんだなとか、いろんな趣味があるんだなあって感心しました」。

「あと、お客さんから学校では教えてもらえない、日本の本当の姿をいろいろ教えてもらえたのが大きいですね。日本的サービスとか気配り、配慮みたいなものを学べたこともその後の私にとっては意味のあるものでした」

 朝9時から午後3時ころまでは日本語学校へ通い、すぐに店に戻って、客引きとマッサージを行なう。客がいない時間は個室で日本語検定の勉強をし、睡眠をとり、深夜になって客が来れば、また起きて仕事をする。そして朝、再び学校へ。非常にハードな生活を続けていた。

 そして、日本語学校入学から半年で日本語検定一級を取得し、その年の秋、首都近郊の私立大学大学院修士課程(経済学)に留学生枠で合格。大学院近くにワンルームの部屋を借りたが、そこは荷物置きとして使っていたようなもので、実際は飯田橋のエステで寝泊まりしつつ、大学に通う日々が続いた。

 その後、修士課程2年目の修士論文執筆が佳境となる時期を迎え、学校に通いやすいよう自宅に戻り、地元スナックでアルバイトをすることになるまで、その生活は続いたのだった。