怠け体質の功労者たち

 マーチング構成係を「彼女たち」ではなく「彼ら」と書いたのは、京都橘は2000年から共学となり、吹奏楽部にも男子が入ってきていたからで、この年はめずらしく男子のマーチング構成係もいる年でした。

 当初はなかなかまとまらず、めいめいが勝手な主張ばかりしていたこの代の“大臣たち”は、常に真面目に練習する橘にしてはめずらしい怠け体質。何かにつけて怠けるので、横山先生は怠ける暇もない難しい課題を与えようと、思ったりもしたのでしょう。私は私で、中学校とのジョイントコンサートを始めて本番を増やしたりと、怠け対策の手を打っていました。

 真面目な努力が苦手な子は発想力が豊かだったり、人前に出ると張り切ったりします。また、「怠けずに練習しなさい」と100回言っても効果がない子たちでも、「あと10日で本番や!」となれば、こちらが何も言わなくても勝手に練習を始めます。こんなタイプには、難しい課題や本番が効くということです。

 こうしてマーチング構成係はまとまり、創造性を存分に発揮して、『バーン・ザ・フロア』のエッセンスを取り入れたステップができていきました。

「シング・シング・シング」は、今でも橘の代名詞と言えるナンバー。その原型をつくり上げた102期生は、功労者と言っていいでしょう。

 こうして臨んだ2005年のコンテストでしたが、結果は前年までと同じ。関西大会金賞止まり、“ダメ金”でした。

「なんでや?」とは、もう誰も思いませんでした。

 原因ははっきりしている―あまりに難易度が高い演技構成に、オレンジの悪魔たちが、対応できていなかったのでした。