私がそのような懸念を書物や雑誌において表明したのに対して、教育現場の先生たちからさまざまな声が寄せられた。それをひと言でまとめると、やはり強い懸念を持っているものの、現実にはもうすでに二極化はかなり進んでおり、学校によっては授業で文学作品など扱える状況ではない、そんなものを読ませても無意味としか言えないといった現状があるようだ。

 実際、心理学や教育社会学の分野では、子どもたちの学力格差が深刻視されている。すでに幼児期に語彙力の格差がみられ、それが小学校での学力に影響するというデータや、小学校入学時の語彙力の差は6年生になっても縮まっていないといったデータも示されている。言語面で恵まれている家庭の子どもと恵まれていない家庭の子どもでは、幼稚園に入るまでに耳にする単語の数に3万語以上の差が出るというデータや、小学校に入学するまでに語彙数に1万5000語の差が出るというデータもある。

 そこで早期教育に走る親もいるわけだが、幼児期に勉強させる幼稚園に通った子より、のびのび遊ばせる幼稚園に通った子の方が語彙力が高いというデータもある。幼児期には遊びを通して学ぶこともたくさんあるのだ。では、子どものためにはどうしたらよいのか。そこをしっかり考えないといけない。

個人の自由や個性の尊重と学力格差

日本の社会は、未熟な子どもにも大きな自由を与える、希有な社会であるようだ。

 前著『伸びる子どもは○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)でも触れたが、今の10代後半から20代の若者がしつけを受け始めた、あるいはしつけを受けている最中であった2001年度の「家庭の教育力再生に関する調査研究」(文部科学省委託研究)では、家庭の教育力が低下している理由の1位は「子どもに対して、過保護、甘やかせすぎや過干渉な親の増加」(66.7%)であった。

 甘い親が問題だという認識が広く持たれていたようだが、親が子どもにどのようなことを期待するかを調べた国際調査(「家庭教育に関する国際比較調査」国立女性教育会館、2004,2005年度)では、「親のいうことを素直に聞く」ことを子どもに強く期待するという親は、フランスで80.1%、アメリカでも75.2%と圧倒的多数なのに対して、日本ではわずか29.6%であった。また、「学校でよい成績をとる」ことを強く期待するという親も、アメリカでは72.7%、フランスでも70.1%と7割を超えているのに対して、日本ではわずか11.9%しかいなかった。

 このような意識調査のデータをみると、子どもは未熟なのだから親が権威をもって子どもを厳しく鍛えたいと思っている欧米諸国とは対照的に、今の日本の親が子どもを自由にさせておきたいという思いを強く持っていることがはっきり分かる。