「土俵の女人禁制が顕在化したのは1968年に始まった内閣総理大臣杯授与という表彰制度からです。それ以前は原則として力士と相撲関係者以外は土俵に上がれなかったのですが、新たな表彰制度によって一般人が潔斎の作法もなく土俵に上がるようになりました。この際、日本相撲協会は女性が総理大臣になる可能性を全く考えていませんでした。大相撲は本場所初日の前日の『土俵祭』で、土俵の上にカミ(祭神名があって祭場に常在する「神」ではなく祭りごとに去来する)を招き、千秋楽後にカミ送りをします。男女に関係なく、カミがまだ立ち去らない土俵上に一般人を簡単に上げることこそ問題です」

 土俵上での表彰制度は近代以降に整備されてきたものであり、土俵の女人禁制も作られた伝統にすぎないという。

「前近代以来の『土俵祭』は『儀礼』、表彰式は1909年に国技館が開館した時に新しく作られた近代の『式典』で、内閣総理大臣杯授与は『イベント』です。こうした首尾一貫しない行事を伝統の名のもとに続けてきた日本相撲協会に問題があるのです」

信仰に関わる場合は
慎重な対応も必要

「ジェンダー平等」が叫ばれる中、女性の社会進出とともに男女差別は次第に撤廃されつつある。

 職業や仕事上の差別に限らず、最近では各地の祇園祭でも、山車に女性が乗ることを許可するなど大きな動きがある。女人禁制や女人結界は対応を迫られる時代になっているということだろう。

 とはいえ、女人禁制はやみくもに撤廃すればいいというものでもない。特に宗教や信仰などが関係している場合、慎重に事を運ばないとわだかまりを残すことになる。その象徴として有名なのが大峯山の問題だ。

 奈良県中部に位置する大峯山の山上ケ岳は、1300年以上前から厳しい修行で知られる修験道の霊場。現在でも、断崖を登り「西の覗(のぞ)き」といわれる絶壁から逆さに身を乗り出し神仏に祈りを捧げる荒修行が行われている。そして、入山が許されるのは男性のみ。女性の立ち入りは固く禁じられている。

「実は日本でほぼ唯一女人禁制を守る山上ケ岳に関しては西暦2000年、役行者1300年遠忌を期して、女人結界を解こうとする動きがありました。1998年に記者会見直前までいったのですが、マスコミにリークされて事態が一変し、さらに99年に奈良県教職員組合の女性の強行登山が行われて協議は中断しました」

 関係者は「硬い貝の口が折角ひらいたのにすべて元にもどってしまいました」といい、地元の洞川の住人は「そっとしてほしい」と語っているという。鈴木氏も地元の生活者の意見にもっと耳を傾けるべきでは、と語る。

「大峯山の信者には熱心な女性も多いです。寺院側としてもいつまでも女性を受け入れないのは時代の流れから言って難しいかもしれません。しかし、講中の人々は『自分の眼の黒いうちはこのままでいきたい』、山麓の洞川の人々は『山上さんのお蔭で生きてきました』などと語ります。しかし、いつかは男女の垣根を越えて山上で会うことが理想なのかもしれません」(鈴木氏)

 古い習わしや壁を越えるのは簡単なことではない。男女雇用機会均等法が施行されてから今年で35年の節目を迎えるが、今も男女平等の実現にはさまざまな問題が横たわっている。解決には社会全体の取り組みが必要だ。