なるほど。だがそれならば以前から、ジェネリックの効果や安全性に不安を抱き、処方薬のジェネリック化に異を唱えてきた医師や薬剤師は、単なる偏見でモノ申してきたことになるのだろうか。

「いいえ。当初からジェネリックに対して否定的な医療従事者はいましたが、それはジェネリック医薬品が誕生した1960年代の中頃から80年代までは、現在の承認基準とは全然違う、低い基準が使われていたからです。

 たとえば人ではなく動物試験でよしとされていましたし、長期・条件下の保存で規格から外れることがないかどうかを観察する安定性試験や、試験液中で製剤から薬物の溶け出す速度や量が同じかどうかを見る溶出試験も義務付けられていませんでした。承認ハードルや品質保証体制が厳しくなったのは80年から90年代にかけてです。

 移行期には、97年以前に承認されたジェネリック医薬品4264品目について再評価が行われ、結果、359品目が不適応となり、市場から完全に駆逐されました。

 以降、今世紀に入ってジェネリックは、かつての『ゾロ品(先発品の再審査期間、特許期間が過ぎてから市場にゾロゾロと売り出される二流品の意味)』とは全く異なる医薬品に生まれ変わったと言ってもいい。しかし、昔を知る方々にとっては、ゾロ品のイメージはなかなか払拭(ふっしょく)できるものではないのでしょう」

 武藤氏は「今回の事件によって70年代、80年代の『ゾロ品』の亡霊がさまよい出てきたようだ」と嘆く。

 一方、医師の中には「そもそも問題は『ジェネリックかどうか』とは関係ない。『ずさんな製造体制』が主問題であり、今回の問題をジェネリック薬品に論点を持っていくのは論点のすり替えに近い」とする声もある。

ジェネリックメーカーを
追い詰めた行政の責任

 2016年以降、製薬企業が不正製造で行政処分を受ける事件は毎年のように起きている。昨年12月の小林化工に続き、今年3月にはジェネリック業界最大手の日医工に業務停止命令が下された。同社は、品質試験で「不適合品」となった製品を、製造販売承認書と異なる方法で「適合品」となるように処理して出荷していた上に、品質管理体制にも不備が認められたのだ。こうした不正は10年ほど前から行われており、昨年2月の富山県とPMDA(医薬品医療機器総合機構)による立ち入り調査をきっかけに発覚。同年4月から今年1月中旬にかけて同社は75品目を自主回収した。

 このあまりにもずさんな状況の背後には、2015年に政府が掲げた、ジェネリックの普及率を80%とする市場拡大目標の影響が大きかったのではないかという見方がある。

「メーカー間の競争が激化してすさまじい市場圧力が働き、小林化工や日医工はプレッシャーに耐え切れず供給を優先した結果、品質をおろそかにしてしまったのでしょう。とはいっても、他はそんなことはしていないので、言い訳にはなりません。最大の原因は両社の企業モラルの欠如です」というのが武藤氏の分析だ。