建国期の「産めよ増やせよ」の政策から、史上最も厳しかった「一人っ子政策」が実施された。その後2016年に一人っ子政策が撤廃され、「二人っ子政策」に移行した。そして、ついに「三人っ子政策」に至った。

 中国の生育政策の歩みを少したどってみる。

「産めよ増やせよ」から一転
厳しい人口抑制政策へ

 中国は1949年に共産党政権が確立されてから現在まで、約70年間で約5回にわたり生育政策を転換させた。まるで手のひらを返すような方針転換の連続だった。

 まずは、1949~1953年の間、国は国民にたくさんの子どもを産むことを奨励した。1949年の中国の人口は5.4億人。新しい国家の建設と経済発展をさせるため、毛沢東国家主席が「人多力量大」(人口が多ければ力も大きくなる)というスローガンを掲げ、避妊や中絶を禁止する政策を打ち出した。避妊具や避妊薬の輸入も差し止められた。

 また、「たくさん産めば産むほど名誉なことだ」と呼びかけ、10人以上の子どもを産んだら、「光栄ママ」とたたえられた。1953年に行われた中国の第1回の国勢調査では、人口が大幅に増え、6億人に達した。

 その後、1954~1977年には、「(子どもは)1人は絶対いる、3人は多い、2人はちょうどいい」と、これまでの政策にややブレーキを踏むように、生育を抑制する方向に転じた。

 そして、1979~2015年、史上最も厳しいと言われた「一人っ子政策」が実施された。この36年間で苦しめられた女性や家庭はとても多い。