至るところに過激なスローガン
一律に人工中絶を行った地域も

 都会と比べて、農村の状況はもっと過酷だった。男の子が労働力となり、家を継ぐという伝統的な習慣があるため、農村の女性は男の子を産まなければ、家族からも村の人々からも白い目で見られる。そのため、国は農村部に関しては、1人目が女の子であった場合は、2人目の出産を認める方針を打ち出した。

 ところが、女の子も「1人分」に数えられるため、生まれてきた女の子の赤ちゃんを遺棄したり、死なせたりすることが多かった。ある女性は、自分が産んだ女の子の赤ちゃんを、夫の家族に無理やり奪われて遠くの地に連れていかれてしまった。その後、子どもの行方は分からず、一生会うことはなかったという。また、取り締まりから逃れるため、妊婦を山に隠したり、遠く離れた親戚の家に身を隠したりすることも度々あった。

 当時は、農村を中心に、「一人っ子政策」を宣伝するスローガンが、横断幕や塀など至るところに書かれていた。これらのスローガンは、非常に過激なものばかりだった。

 例えば、

「寧可血流成河、不准超生一个」(たとえ血が川のように流れても、1人たりとも多く産んではいけない)
「一人超生、全村結扎」(1人でも超過して産んだら、村ごと結紮【けっさつ】するぞ)
 編集部注※ここでは避妊手術のこと
「该流不流、〓房牽牛(〓の文字は手へんに八)」(中絶を拒否したら、家を壊す、牛を没収する)

 などなど。

 こうした文言からは、当時の殺伐とした社会の空気がうかがえる。

 人口抑制の機運が高まる中、1991年、山東省冠県など複数の地域ではある運動が起こった。

 それは、「百日無孩(百日ゼロ出産)」というもの。1991年の5月1日~8月10日の100日間で、子どもを1人も産ませない、という目標を掲げて行われた運動だ。この期間、妊婦であれば初産も第2子も関係なく、一律に人工中絶が行われた。出産間近だった女性も免れることができなかったという。

 最近、中国のSNSでは当時、冠県の党の書記を務め、この運動を起こして多くの女性を被害に遭わせた元幹部の責任を問うべきという声が多く上がっている。