政府にとっての
専門家の「利用価値」

 現時点で、尾身氏は、独自に情報を発信する意向だと報じられている。

 感染症対策の「専門家」として、コロナ禍におけるオリンピック開催のリスクや、どうしても開催する場合に必要な対策を提示することが自らの責任だと考えておられるようだ。極めて「まとも」で「普通」の考えだと、筆者は思う。

 政府に対して、時には企業や学校などの組織に対して、「専門家」は微妙な位置に立つ場合がある。

 多くの場合に専門家は、政府などの組織が実行したいと考えることの正しさを専門家として裏書きして、その正当性を補強する役割を期待される。例えば、昨年の「Go Toキャンペーン」の際には、Go Toキャンペーンが感染症対策と両立できるという情報発信を専門家が行ってくれると、政府としては好都合だった。

 かくして、多数の「委員会」や「有識者会議」が生まれる。

 一般に、こうした会議に呼ばれる専門家には、(1)政府に認められた専門家としてステータスを得る、(2)専門的な知見を広く世間に知らせることができる、(3)自分の所属組織(例えば大学)が政府と良好な関係を持つことにメリットがある(研究費などで)、といったモチベーションがある。

 なお、この3番目のメリットに関しては、学者の場合にそれなりに重要な場合があるだろう。ただ、政府との関わりが自分の所属する会社に受注をもたらすような関係性になると、不適切な場合がある。今回、名指しは避けるが、政府に関係する「会議」のメンバーにはこの点で深刻な疑義を感じさせる人物が存在する。

 尾身会長は元官僚であり、地域医療機能推進機構の理事長だが、(3)に関する疑義は今のところ感じられない。また、尾身会長の分科会については存じ上げないが、この種の有識者会議の出席に関する謝礼金はごく安いのが普通で、尾身氏のような方にとってほとんど意味がない金額だ。

 従って尾身会長は、これまで専門家としての使命感から「手弁当」的な感覚で協力してきたと実感しているに違いない。