他方、オリンピックを待ち望むアスリートに対して同情的な人や、そもそもコロナ対策としての各種「自粛」に懐疑的な向きもある。そういう人々は、プロ野球やJリーグなどが部分的に観客を入れて開催されていることとの整合性を強調しつつ、有観客でのオリンピック開催が十分可能であり、合理的だと考えている。有観客開催反対派に対する賛成派の態度は、憎悪よりは「軽蔑」が近いかもしれない。

 いずれにしても、有観客開催の賛成派と反対派の間にある感情的な対立は深い。そして後述のように、この対立は政治の無能によって発生し、拡大した。

アスリートにとってのオリンピックは
歌手にとっての紅白歌合戦に似ている

 さて、アスリートにとってのオリンピックは、歌手にとっての紅白歌合戦に近いことに気が付いた。

 アスリートにとってオリンピックの代表に選出されることは名誉なことだし、多くの歌手にとって紅白歌合戦は「ぜひ出たい番組」だろう。競技や番組(基本は生歌唱で「口パク」なしである)はアスリートと歌手のそれぞれにとって、真剣なパフォーマンスを広く披露する場であり、ビジネス的には自らをプロモートする場でもある。

 歌手にとって「紅白出場」は、いわゆる箔がつくイベントだろうし、ギャラにも影響する。特に紅白視聴者層が顧客層と重なる演歌ジャンルの歌手にとっては、「紅白歌合戦がなくなる」という状態はビジネス的に相当のダメージだろう。知名度を獲得し、ギャラを上げるきっかけをつかむためにも、紅白はやってくれなければ困るイベントなのではないか。

 競技種目によって差があるだろうが、アスリートにとってのオリンピックも同様だろう。将来のプロ転向、競技引退後のコーチや解説者、タレントなどでの世渡りにとって、さらには各種のスポーツ教室などのビジネスに関わる上でオリンピックは欠かせない。オリンピックの出場やそこでのメダルの獲得は、選手本人及びその関係者にとって小さくない経済効果をもたらすはずだ。

 競技によっては、選手寿命は長くない。今回のオリンピックの開催の有無が人生に大きく影響する選手が少なくないはずだ。

「演歌歌手は紅白がなくなったらかわいそうだなあ」。そう思うと、アスリートのために競技の場としてのオリンピックは何とか開催できるといいなあ、という方向に気持ちが傾く。