大統領選の朝

肌で感じた米大統領選挙<br />USAコールの熱狂から民主主義の神髄に触れた街の至る所に置かれた「VOTE」の看板 Photo by Yoshikazu Kato

 11月6日、火曜日、朝7時――。

 ウィンドブレーカーとランニングシューズを身にまとい、米ボストンの自宅玄関を出る。爽やかな秋晴れという表現がピッタリの天気だが、身は寒さで震えている。気温は5度くらいだろうか。

 投票所が閉まるのは20時だ。これから13時間にわたって繰り広げられる米大統領選挙の現場をこの眼に焼き付けておきたかった。

 知人から「投票する場所は街のそこら中にあるらしい」と聞いていたが、さっぱり分からない。

「走りながら、探そう」

 自分なりの方法で、自分の足を使って情報を拾っていこうと思った。手袋を両手にはめて、ストップウォッチを押して、走り出す。

 方向感覚もないまま、ただひたすら走る。思えば、約10年間滞在した中国で、地方に視察に出かけた日々もそうだった。地図を持たず、ただ五感に身を委ね、自分にとっての迷宮のなかに入り込んでいく。道に迷うこと、帰って来られないかもしれないと恐れてはいけない。迷ったら、帰って来られなかったら、それはそれで、発見があるはずだからだ。

 目的地にたどり着くことだけが取材ではない。物事の結果を勝手に仮定することは、取材者にとっての天敵だと思う。先入観を捨て、こちらがまるで透明人間の如く無心になったとき、取材対象は心を開き始め、本音を語ってくれる。