何が何でも新しければいい、
変革すればよいという話ではない

 昨年来、コロナ対策のデジタルトランスフォーメーションで有名になった台湾の唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当大臣と、一昨年メールで話をしていたときに、「自分を評価してくれるのは嬉しいが、若さと変革だけが台湾の力ではなく、台湾政府にも経験豊富なシニアの政治家がいて、それぞれが役割分担をすることで全体がうまくいっている」という話を聞いた。何が何でも新しければいい、変革すればよいという話ではない。

 国のリーダーには唯一万能な人材を求めがちだが、変革志向の人材と既存の力の強化が得意な人材は、往々にしてトレードオフであり、同時に両方の能力を個人だけに求めるのは難しい。なぜなら、既存の能力を強化するには、厳格な性格で、ルールを厳格に守り、厳格な組織をつくるのが上手いことが求められるのに対して、非連続な変革を志向するためには、柔軟な性格で、ルールの柔軟な運用を行い、柔軟で臨機応変な対応ができる組織をつくるのが上手いことが求められ、求められる能力がそもそも正反対なのである。

 故に、個人ではなく組織に多様なタイプの人材や下部組織を配置して、変革と既存能力強化の両立を組織的に行うことが求められる。1つの事項を強力に推進するのであれば、アメリカのような大統領型の行政組織の方が向いているかもしれないが、バランスを取りながら変革と既存能力の強化を図るのであれば、個人が突出しない議院内閣制というわが国の統治システムの方が向いているかもしれない。

 その上で、リーダー個人には、全体として変革を主に率いてもらいたいのか、既存のやり方の踏襲を求めたいのか、どちらを望むのかによって選べばよく、もう一方とのバランスは、内閣の陣容をどのようにつくるかなど、組織的な仕掛けで対応すればよいということである。

 つまり、変革だけではダメだということが、変化が不要であるという話にならないことも自明であるといえる。たとえば昨今の主要な河野批判の中に、年金改革問題がある。河野氏のアイデアは、基礎年金を消費税を財源とした全額税方式にして、所得に応じて積立方式も採用するというものである。基礎年金が消費税で賄えるのか、コロナで弱った経済を建て直すことを考えればむしろ減税をすべき局面で、消費税率をどれだけ上げれば年金をカバーできるのか、など多くの批判がある。一方で、年金をこのまま放っておいてよいということにはならないだろう。

 年金改革の河野案が実現困難であるから、河野改革はよろしくないと考えるべきか、それでもあえて河野改革を進めるべきなのか。それはもしかすると、河野太郎氏という政治家に何を期待するかによって異なるかもしれない。