一方で40歳以上の任期なし教員の数はほとんど減っておらず、むしろ任期付き教員の数が増えています。つまり、総論として、お財布の中身が減ってツケを回されたのは、働き盛りの若い世代の研究者だったのです。こうしたデータからは、最も大切にすべき40歳未満の若手世代の研究者の条件がどんどん改悪され、数が減っている危機的な状況が透けて見えます。僕自身は研究生産性という意味ではテニュアにこだわることはないという考えですが、低すぎる流動性は問題です。

 このような状態で年功序列色の強い日本の大学に任期付きで雇われた研究者が、自分の望む自由な研究ができるとは思えませんし、まして潤沢な研究費は望めないでしょう。研究費が少なく、給与が少なく、上の層は厚い。そんな状況では、そもそも研究者を目指そうとする若者が減ることも致し方ありません。

 そして一つの重たい現実として、日本の研究的な国際競争力は下がり続けています。

日本は30年後、ノーベル賞を取れる国か「nature Index, worldometers」よりNOSIGNER作成

 このグラフは2020年の人口百万人あたりの発表論文数のグラフですが、見ての通り先進国の中では最低クラスです。そもそも発表される論文の数が少なければ、その中から国際的に注目される論文が出てくる可能性も低くなるでしょう。

 この状況が続けば当然、現在30代の優れた日本の研究者が30年後にノーベル賞を取るのは厳しいと言わざるを得ません。

 この状況を受けて日本は、10兆円規模の大学発ベンチャーに向けたファンドの設立などの施策を急いでいます。この惨憺たる状況が変わることを願わずにはいられません。

創造性教育という処方箋

 ここまでの通りなら創造性には一つのピークがあり、その世代の不遇を解消するのは研究環境全体にとって価値があるはずです。

 しかし私は世代論を話したいのではなく、日本がもっと創造的になるための道のりに興味があるのです。そのためには創造的な若者が活躍できる環境も必要ですが、処方箋はそれだけではありません。

もし私たちが変化への柔軟性を磨く方法を知らないだけなら、新しい教育を生み出すことで、老いてもなお新鮮な発想をする人を増やすことができるかもしれない。
(進化思考 P.34から)

好奇心を持って観察する子どものなかには、大人も舌をまくような驚異的な知性を発揮する子がいることも私たちは知っている。物事の本質を理解するための教育があれば、結晶性知能のピークはもっと早く訪れるかもしれない。
(進化思考 P.34から)