我々の宇宙とあらゆる点で同一な
忠実なコピーが存在する

「高知工科大のセミナーは、高知らしく自由な話題と聞いたけど、ここまでぶっ飛んだ話を聞かされるのは、学生さんたちにとって……。いやなんというか、全卓樹教授は実に心の広い方だ」

 彼の抑えた激しい苛立ちがスクリーンから伝わってきた。須藤博士の顔は強張っていた。仕方なく私が口を開いた。今の話を逆に考えたら、想像しうるあらゆる論理体系は、それ自身、実在とみなせる、と言う結論になってしまいませんか?

 須藤博士の顔が綻(ほころ)んで、最後のスライドが映し出された。大きな黄文字で次のように書かれてあった。

「数学的に無矛盾な体系は、あまねく実在と認めざるを得ないのではないか」

 また沈黙が続いた。須藤博士はまるでそれを楽しんでいるように見えた。

 1分ほどの時間が経った。須藤博士が話し始めた。こういう一種の極限的な思考実験は、もう物理学の領域を超えてしまったと、私自身もちろん認めています。クレタ人のように「私のいうことを信ずるな」と言いたいくらいです。それで最後に少し物理学らしい、当面はできなくても原理的には観測が可能かもしれない、そんな話で締めたいと思います。

 この世界がタイプ1のマルチバースだったとします。時空は無限で、その中に我々の宇宙と同一の法則に支配された別な宇宙が無数あると考えるわけです。その中にはひょっとするとお互い全くそっくりな、実際上、区別不可能なコピー宇宙が含まれているかもしれません。

師走のマルチバース【続・銀河の片隅で科学夜話】Photo:oxygen/gettyimages

 そして話は宇宙のあり方の数の計算になった。宇宙を構成する原子核の大きさ10^-13cm(※「^」は「乗」の意。以下同じ)を、我々の見ている半径138億光年(すなわち10^28cm)の宇宙いっぱいに入れるとすれば、宇宙には(10^28/10^-13)^3個、つまり10^123個の原子核が詰め込めます。違った言い方をすれば、宇宙には原子核を置ける10^123違った場所があるということです。

 各々の場所で可能なのは、原子核を置くか置かないかの2通りです。あらゆる場所に置く置かないの2択があるので、宇宙全体での原子核の置き方方のバリエーションは、全部で2^(10^123)です。この数が宇宙がとり得る、違った状態の数です。

 もし世界全体にこの数を超えた数の宇宙が存在すれば、必ずどれか2つの宇宙が全く同じ状態でなければならないでしょう。

 もちろんこれはものすごく粗っぽい概算ですが、たとえ数千倍数万倍違っていても、じつは話の筋に大差はありません。世界全体に宇宙が「たったこれだけの数」あれば、世界の中には我々の宇宙とあらゆる点で全く同一な忠実なコピーが存在するということです。

 世界の時空はおそらく広大無辺で、その中にはこの数を遥かに超える宇宙が収まっているでしょう。そうすると必然的に次のような結論になります。

 世界全体には我々の宇宙と同一なものが無数にあり、我々とほんの少し違う宇宙、大幅に違う宇宙、全ての可能な宇宙の無限個のコピーがある、と。