大陸からの大量の帰化人が
もたらした美的資産

 実は、これらの美しい仏像が生み出される前に、大陸から大量の帰化人が日本に来て、日本社会に同化し始めた。そして彼らの子孫などが、再び唐などに留学をして、知的・美的なものを持ち帰ったのである。

「右のような実際の文化の担当者のうちに、おびただしい外国人が混じていたことは否定できまい。当時は朝鮮経由でシナ(*)人の大挙移住があってからさほどの年数がたっていない上に、唐人の渡来もようやく多きを加えてきた。唐使とともに二千人の唐人が筑紫に着いた記事もある。大唐人、百済人、高麗人、百四十七人に爵位を賜うた記事もある。古くからの帰化人や混血人は、家業として学問芸術にたずさわっていた。特に飛鳥の地はこれらの文化人の根拠地で、壬申の乱のとき天武帝のために働いたものが少なくなかった。唐に留学して新文化を吸収してくる僧俗の徒も少なからずこの帰化人の社会から出た」(*原書の表現を尊重して掲載している)

 そして、それらの人たちが日本人と同化し、日本化をして、これらの美的資産が生み出されたのである。仏教という世界宗教と、さらには度重なる飢饉や疫病。世の中の安寧を願う人々の強い想い、仏教によって社会を構築したいという有力者の意志、これらが融合し合う。そして、その融合の母胎となったのが日本の自然であった。

「これらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、わが国のやさしい自然であろう。愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく底知れぬ神秘を持つわが島国の自然は、人体の姿に現せばあの観音(中宮寺の如意輪観音のこと)となるほかない」

 その結果、最高級の技巧を持つ高い精神性を内包した、世界的に見ても第一級の素晴らしい造形物が生まれてきたのである。

 この本を書いた後、和辻は日本的な思想と西洋的な思想の融合を成し遂げ、独創的な哲学の体系を打ち立てる。社会や集団が大きな発展を遂げるとき、そこには新しい要素と革新者による本質看取がある。傑作である数々の仏像たちがどのように製作されたかを考えるとき、とてつもなく多くの要素が混入し、融合し、統合されてきた様が浮かんでくる。

 我々が自らの将来を考える際にも、これらの多様性と融合の混沌から逃げてはいけないのではないだろうか。美しい仏様のお姿から、そのようなことを強く感じるのである。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)