企業のトップ(経営者)がメッセージを送ることの意味
経済産業省は、ダイバーシティ経営(ダイバーシティ・マネジメント)が成果に結びつくまでのプロセスとして、「経営理念・方針・戦略の明確化」を最初のステップとしているが……。
酒井 ダイバーシティ・マネジメントがうまくできている組織は、人と異なる意見を言っても大丈夫だという安心感のある風土、昨今のキーワードで言えば「心理的安全性」が高い職場であり、企業の理念や方向性、組織の目標などがメンバー間にしっかり共有されている傾向があります。
私はかつて、日本IBMに勤め、90年代前半にルイス・ガースナーさんがIBMの会長兼CEOになられたときに「ダイバーシティ」という言葉を初めて耳にしました。経営戦略として「ダイバーシティ」というキーワードが出てきて、「ダイバーシティって何だろう?」と思いました。
当時、全世界のIBMの女性従業員たち数百人を集めたカンファレンスがニューヨークで行われ、参加者の一人として私も渡米し、ガースナーさんのスピーチを拝聴しました。世界各国の女性が着席しているので、「女性従業員ならではの価値を企業内で生み出そう」「ジェンダーの壁を越えてがんばってほしい」――そういったスピーチをされるのかな?と思ったのですが、実際は違いました。女性向けのエールではなく、「マーケットや顧客に対して価値を持つために、IBMは存在する」とおっしゃり、「社会に貢献し、イノベーションを生み出そうと思う人がIBMに集う」といった文脈のメッセージでした。さらに、「マーケットや顧客の多様化に合わせて、自社内の多様な人材と向き合える企業にならなければいけない」と。「経営戦略としてのダイバーシティの価値」がスピーチのテーマだったのです。
企業のトップが確固たる理念を自分自身の言葉で発し、それを企業内で共有していく。そうして、マーケットや顧客のいちばん近い位置にいる従業員が、顧客の多様化を肌で感じ、社会の多様性を知り、自分たちの組織でダイバーシティを自分事にしていけば、インクルージョンは自ずと醸成していくでしょう。
酒井さんは男女雇用機会均等法の“一期生”として、日本IBMにSE(システムエンジニア)として就職した。10年間のSE職から顧客のコンサルティング職を経て、人事の仕事と介護の生活を両立させた。現在は研究者(大学の教員)として、あらゆる組織のダイバーシティ・マネジメントを見続けながら、学部生に組織デザインや人事管理を教えているが、日本の産官学のダイバーシティ&インクルージョンの“現在地”をどう見ているのか。
酒井 企業は、いま、本気で変革を進めていると思います。一方で、行政機関のダイバーシティ&インクルージョンはビハインド状態だと思います。経済界と政界のギャップを感じます。世界各国を対象に毎年発表されるジェンダー・ギャップ指数を見ると、日本であまり変わっていないのは「政治」分野です。政界が、多勢と異なる意見や疑問をぶつけづらい組織に見えます。多くの企業は変わってきていますし、教育機関でも、学生たちが多様なメンバーで課題解決や新たな価値を創るプロジェクトを行い、ファシリテーションスキルやアサーションスキルを磨くなど、ダイバーシティ&インクルージョンの理解を深めています。そうした経験値を持つ若者が社会の別集団に入ったときに、ダイバーシティ・マネジメントへの違和感を覚えないでほしい――私はそう思っています。