ベロビーチでは、トミー・ラソーダ監督(当時)が打撃投手を務めたり、早稲田の野球部員はドジャース選手と同じ宿舎に泊めてもらったりと、部員たちにとっては夢のような10日間だったという。

 現場に詰めていた友永はこう述懐する。

「石井さんは、毎晩のように会長室でその日の練習のことを報告します。会長は『なにか問題はないか。他に私たちにできることはないか』と繰り返していました」

 そんなときだった。友永にとって忘れられない場面が訪れる。

 ドジャースタウンでの練習の後、早稲田野球部が御礼の夕食会を設けることになった。会場のメキシカンフード・レストランへ向かう車中には石井、ラソーダの両監督と友永がいた。

「今日のレストラン、誰が決めたんだ」

 石井が友永に聞いた。

「ラソーダ監督が知っている店ということで、そこに決まりました」

 その瞬間、「そんなデタラメはダメだ!」と痛罵が飛んできた。

「こっちが招待するんだぞ。なぜ向こうが会場を決めるんだ。こんなことをしていたら早稲田は笑われるぞ」

 ラソーダ監督が横にいるにもかかわらず、グラウンドでのそれと変わらない大音声だった。自分の信念に沿ってダメなものはダメと怒鳴り上げる。その迫力に友永は圧倒された。

「私がオマリー会長のお手伝いをする中で、間違いなく言えることは、彼が日本のアマチュア野球界で最も信頼していたのは石井さんということ。アイクさんの頑張りを心底理解したオマリー会長との友情が、今度は石井さんと会長の深い友情へ進化したのだと思います」

※ トミー・ラソーダ(1927~2021)
 1976年より、ドジャース監督を20年間勤め上げる。勇退した97年にアメリカ野球殿堂入り。日本人メジャーリーガー・野茂英雄を重用したことでも知られ、その後来日して日本のテレビCM にも登場するほどの大の親日家である。98年にドジャースの副社長に、2005年には名誉顧問に就任。00年のシドニー五輪ではマイナーリーグ選手中心の米代表チーム監督を72歳という高齢ながら務め、チームを金メダルに導いている。「ユニホームの背中の名(選手個人)のためではなく、胸の名(チーム)のためにプレーしろ」の名言がある。

小宮山・早稲田の初陣
2019年春季リーグ戦が開幕

 圧倒的な熱量を持った先達がいた。彼らが早稲田野球の伝統を作ってきた。

 そのことに深く共鳴するならば、部の空気が緩むはずもない――と思えてくる。「早稲田野球部の歴史を頭にたたき込め」と日頃から小宮山が部員たちに諭すのは、そういった意味合いも強いのである。

 そして開幕。

 小宮山・早稲田の2019年春季リーグ戦。結果は明治、慶応に続く3位だった。春季ベストナインに早稲田から4人が選ばれた。その4人に、小宮山は思いがけない声をかけた。

(敬称略)

※ 参考文献:石井連藏『おとぎの村の球(ボール)投げ』三五館、1999年

小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年千葉県生まれ。早大4年時には79代主将。90年ドラフト1位でロッテ入団。横浜を経て02年にはニューヨーク・メッツでプレーし、千葉ロッテに復帰して09年引退。野球評論家として活躍する一方で12年より3年間、早大特別コーチを務める。2019年、早大第20代監督就任。