それなら、国際比較調査で、「私は価値のある人間だと思う」「私は自分自身に満足している」「自分はダメな人間だと思うことがある」などといった共通の項目で測定した日本人の自己肯定感が欧米諸国に比べて著しく低いとしても、何ら問題はないはずだ。
では、日本人の自己肯定感は本当に低いのだろうか。それとも、欧米式の測定項目で測るから低くなってしまうけれども、本当は低くないのだろうか。そこで注目したいのは、「意識化されていない自己肯定感」だ。
潜在意識では日本人の自己肯定感は低くない?
日本人の心には、謙遜の美学が深く根づいているため、意識される形で自己肯定感を測ろうとすると、謙遜によって低めの数値になると考えられる。ゆえに、多くの国際比較調査では、日本人は自己肯定感が低いといって問題になる。
でも、やみくもに自分を肯定することが自己肯定感のあらわれとは限らない。謙虚にふるまっていても、心の中では自分をちゃんと肯定できているかもしれない。心の中でしっかりと自己肯定ができていれば、意識されない形で測定された自己肯定感は高くなるはずである。
意識化された自己肯定感というのは、「あなたは自分に満足していますか」といった質問に対して「非常に満足している」とか「それほど満足していない」と意識しながら答えたものを指す。でも、「それほど満足していない」と答えながらも、たとえば自分の名前に入っている文字に愛着を感じていたりすると、意識化されていない自己肯定感は高いとみなされる。
そこで、心理学者ペルハムたちは、自尊感情(自己肯定感とほぼ同じ)を「意識化された自尊感情」と「意識化されていない自尊感情」に区別し、両者を測定している。その結果を見ると、両者は無相関、つまりまったく関係ないことが分かったのだ。
つまり、言葉では高い自己肯定感を示しても意識化されていない自己肯定感が低かったり、逆に言葉では低い自己肯定感を示しても意識化されていない自己肯定感が高かったりすることも珍しくないというわけである。