社会派ブロガー・ちきりんさんの最新刊『自分の意見で生きていこう』が、発売直後から反響を呼んでいます。特に読者の感想として目立つのが、「承認欲求と意見の関係」を説明する一節についてです。その該当部分を一部編集し公開するシリーズの後篇をお届けします。(→前篇/→中篇)
「意見の束」が人格を創る
「ちきりん」というキャラクターがその「意見の束」によって認知されたように、他者から「30代の会社員」とか「40代のワーキングマザー」と一括りにされるのではなく、きちんと個人として認めてほしいと思うなら、必要なのは「さまざまなコトに関して、自分の意見を表明すること」です。
ひとりの人間の人格の全体像を伝えるためには、なにかひとつのトピックについて意見を言えば十分ということはなく、継続的に、さまざまなことについて意見を表明する必要があります。
というのも、ひとつやふたつのことについてなら、「たまたま、自分と同じ意見の人」もいるけれど、千のことについて、万のことについて、日常のあらゆる場面で「自分の意見」を明確にしていたら、それらの意見がすべて同じ人など存在しないからです。
だから、多くのことについて意見を明らかにすればするほど、「他の誰とも違う○○さん」として認知されるようになります。「あなただけの意見の束」こそが、あなたを他者から区別する、あなただけの人格を創るのです。
そういわれても、「意見」を言うなんて難しいと感じるかもしれません。「知識不足で、よくわからない」と思えることもあるでしょう。でも、間違いを怖れたり、遠慮したりする必要はありません。意見には間違いも正解もないからです。
そもそも、他者と意見が異なることを怖れ、常に周囲と同じ意見を言っていたら、いつまでたっても「その他大勢のひとり」としてしか認知されません。
「他者と意見が異なることが怖い」のに、「その他大勢のひとりではなく、私という個人を承認してほしい」と考えるのは矛盾していますよね。
とはいえ、無理矢理に突飛な意見をひねりだす必要も、格好をつける必要もありません。ただ素直に、自分の「こう思う」を、言葉にすればいいだけです。素の自分とは異なる「すてきな私」や「尊敬される自分」を人為的に作り上げるなど、誰にもできません。
またその意見は、誰かに言う必要さえありません。私が長く続けてきたように、自分しか読まない日記帳に書き留めるだけでもいいし、匿名のブログやSNSで呟くだけでもいいのです。
大切なことは、自分自身で自分の意見をしっかり理解しておくことだけです。そうすれば、意見を表明すべきと考える機会にいつ遭遇しても、「わからない」「そんなこと考えたこともない」と答えるのではなく、しっかり具体的な意見が言える人として認知されるでしょう。
自我と他者からの認知の乖離
ただし大切なのは多くの人から認知されることではなく、正しく認知されることです。たとえ大勢から認知されても、そのイメージが「自分が理解している自分=自我」とズレていると、むしろ認知されていないほうが幸せだと感じられるほどつらいものです。
たとえば、ずっと無名のクリエイターだったのに、世界的に有名な賞をとったことである日突然メディアから注目され、あれよあれよという間に自分の実態とはかけ離れたイメージが作られてしまう人がいます。
これではいくら有名になっても、本人はずっと居心地の悪さを感じ続けることになります。しかも、それがイヤで「本当の自分」を見せ始めると、「イメージが崩れた!」「いい人だと思っていたのに」といった理不尽な非難を受けてしまったりします。
このように、たとえ他者からの大きな認知が得られても、認知された人格が本当の自分(自分自身が認知している自分)と乖離してしまうと、意味がありません。
大手プロダクションから本来の自分とはまったく異なるイメージで売りだされるアイドルやスターのなかにも、まだ自我も確立していない年齢なのに、外部から多大な承認を得てしまう人(というか子ども)がいます。
こういう場合も、多くのファンから承認されること自体は嬉しくても、自己肯定感がもてない、すなわち、自分で自分を承認できない状態のままとなり、不安な気持ちから逃れられなかったりします。
周りの人に承認された人格が、本当の自分とは異なる虚像のように思えたり、ものすごく多くの人から知られているにもかかわらず、「誰もわかってくれない」と不安を感じたりもします。
「オレも多くの人に認知されたい!」「私も有名になりたい!」と望む人にとっては想像しにくいかもしれませんが、ものすごく多くの人に認知されていながら「誰にも理解してもらえない」と悩んだり、「本当の自分とは異なるイメージが一人歩きしてしまってつらい」と感じる人は少なくありません。それはときに、まったく誰からも承認されないのと同じくらい、つらいことだったりするのです。
最初に必要なのは自我の確立
だからこそ、他者から承認されたいと考える人にとって必要な最初の一歩とは、自分で自分を承認できるようになることなのです。他者からの認知を得ようと考える前に、自分で自分を理解し、肯定する。そういうプロセスを経てこそ、高い自己肯定感につつまれた人生が手に入ります。
この順番はとても大切なので言語化しておきましょう。
1.日常生活で見聞きし、体験したさまざまなことについて、自分の意見を明確にする。外部に表明する必要はなく、日記帳や他者が閲覧できないブログやメモに書き記すだけでもOK。
↓
2.それらの「自分の意見の束」によって、自分という人間がどのような人間なのかを、自分で理解する。[自我の確立]
↓
3.そのありのままの自分を、自分で肯定する。[自己承認、自己肯定感]
↓
4.それらの意見の束を(自分を理解してほしい、と思える人に)開示することにより、自分という人格を、外部からも承認してもらう。[承認欲求の充足]
ここでなにより大切なのが最初のプロセスです。「他者から承認されたい」と思うなら、まずは「承認される対象としての自己」を確立しないと始まりません。
自分で理解できていない自分を、誰かに伝えることなどできませんよね? そんな状態では、外部からの承認など得られるはずがありません。だからまずは、自分だけが読む日記帳やメモでよいので、自分の意見を言語化することから始めましょう。
ちなみに3番目の「ありのままの自分を自分で肯定する」ところまで到達できると、実は最後のステップである「他者からの承認の有無」はあまり気にならなくなります。
これはおそらく「誰に自分を承認してほしいのか」という問いの答えが「まずは自分自身」だからでしょう。
「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無(もしくは大小)をむやみに気にすることがなくなるのです。
換言すれば、外部からの承認が得られず焦りを感じている人というのは、多くの場合、自分で自分を承認できていないことのほうが根本的な問題なのかもしれません。そして、なぜ自分で自分を承認できていないのかといえば、それは、自分で自分という人間について、しっかりと理解できていないからでしょう。
SNSで自分と同じように見えるごく普通の人が突然、有名になり人気者になるのを目にしてしまうと、「自分もそうなりたい!」と焦る人もいるでしょう。
でも、急がば回れです。自我も確立していないのに外部からの承認ばかりを求めてしまうと、とにかく突飛なことをすればよい、といったおかしな方向に進んでしまったり、やたらと周りに迎合し、「自分を失ってしまう」状態に陥ったりします。
まずは自分の意見を明確にすることにより、自分で自分をしっかり理解する。それがすべての始まりなのだということを忘れないでください。