日本はウクライナの戦い方に学ぶべし

 以上のように、ロシアとウクライナの戦争は「戦争における勝利」に一足飛びで向かうウクライナ、「軍事的勝利」を力押しするしかなくなったロシアという構図を持つ。

 これは近い将来、ゴリ押しするしかないロシアによる暴走が懸念される。ウクライナ軍が「戦争における勝利」に近づき、ロシアの経済的破滅を引き寄せれば寄せるほどその懸念は高まる。例えば、既にその兆候があるように、日中戦争の援蒋ルートならぬ「援宇ルート」となっているポーランドへの戦線拡大、ウクライナ国内でのBC兵器(生物兵器・化学兵器)の行使だ。

 日本としても、このウクライナの戦い方に学ぶ必要がある。日本は明治時代から、90年代の読売巨人軍のようなホームラン打者をそろえる防衛力整備になりがちだった。

 しかも、90年代の巨人軍は球界一の資金力を誇ったが、今の日本はそうではない。それなのにイージスアショアの調達を過去に目指してみたり、F-35戦闘機の大量調達を行ったり、米海軍ですら諦めたレールガンの開発に予算を投じてみるなど、戦術レベルのホームラン打者を数多くそろえようとしている。

 確かに4番打者は必要だ。しかし4番のホームラン打者ばかりの球団がお金持ちであっても日本シリーズで優勝できないのであれば、貧乏球団がそれをやっても勝てるはずがない。ウクライナのようにさまざまな武装ドローンや民生品と戦車や戦闘機、それに情報戦を組み合わせる野村ID野球しかない。

 繰り返すが、圧倒的な優勢を誇る敵に対し、「戦争における勝利」を目指すウクライナのやり方は、日本にとっても参考にすべき事例だ。日本はロシアよりもはるかに巨大な中国の脅威にさらされている以上、ウクライナ流の戦争方法は学ぶべき点に富む。

 現在の防衛論議はいかにしてミサイル防衛をするか、どのような兵器を使うか、離島防衛をどうするか、台湾有事をどう対応するか、といった「戦術的勝利」のレベルばかりに議論が集中し、今のロシアと同じドグマに陥っている。作戦レベルの発想すらほとんどない。

 それではいけない。いかにして作戦術の発想を活用し、有利な講和にこぎつけて「戦争における勝利」を勝ち取るための日本流の戦争全体のデザインを議論するべきだ。ウクライナの善戦は、日本の希望であり、絶望だ。