「私は専門家ではありませんが」と断りつつ、中世史の専門家らが一堂に会した1月のNHK番組で、井上さんがこうした見方を披露すると話題になった。

「鎌倉幕府の本質は、親分である源頼朝と、子分である御家人の主従関係。頼朝は御家人の縄張り(領地)を保証し、土地の管理を任せる代わりに、御家人は何かあれば頼朝のもとに駆けつけ、武力を提供する。今の組織で言えば、広域暴力団のようなもの。『関東鎌倉連合会・源組』と呼んでもいいでしょう。そう考えると、頼朝と御家人の間でこうした関係が固まった1180年を幕府成立の年とみるべきです」

 国内では明治・大正期以降、鎌倉期の統治体制をめぐり、東西で論争が繰り広げられてきた。

「欧州にもあった封建制は、中国では見られない。このため欧州に匹敵する仕組みが東アジアで唯一、日本には鎌倉時代からあったのだとして、主に関東の学者は喜びました。関東の学者の間には、鎌倉幕府は、奈良や京都の公家や僧侶たちが作ってきた古い世の中を、武士たちが新しく変えたのだと高く評価したい傾向が強かった」(井上さん)

 対して関西の学者は、鎌倉時代の封建制はあくまでそれまでに整えられてきた荘園制の枠内にとどまり、荘園制の土台は鎌倉時代も揺るがなかったと考えるムードが強かったという。

 幕府の実体や天皇、朝廷との関係をどう見るかが争点だ。井上さんも、こうした関西側の見方に立つ。

「私がみる限り、学界の趨勢(すうせい)は関西側の見方が今では過半を占めつつある。とはいえ、教科書やテレビドラマでは今でも、公家や僧侶は新しい動きに抵抗するネガティブなイメージで描かれることが多いようですね」

 大河ではどう描かれるか注目しよう。(本誌・池田正史)

週刊朝日  2022年5月27日号

AERA dot.より転載