大河ドラマの鎌倉殿「13人」って誰のこと? 源頼朝没後の「合議制」実体を専門家が検証Photo:PIXTA

 成立当初の鎌倉幕府は、東国を支配する小規模な地方政権でしかなかった。しかし、承久の乱に勝利したことで、その支配領域を全国へ拡げていく。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.19』では「鎌倉幕府」を徹底解説。ここでは、二代将軍・頼家を支えた「鎌倉殿の13人」と「合議制」の実体を解き明かす。

 源頼朝が、鎌倉幕府の最初の機関として設置したのは、侍所である。侍所は、御家人たちを束ねるのが務めであった。

 治承四年(1180)、侍所の初代別当(長官)には、相模国の有力武士・和田義盛が任命された。御家人の統制のために設置されたのだが、そのため、侍所というと武家の機関という印象が強いが、平安時代にも上級貴族の家政機関として既に侍所(人事管理などを担当)が設置されていた。