日本では病床は、「精神病床」「感染症病床」「結核病床」「療養病床」「一般病床」と分類されています。2020年当時、新型コロナの患者急増の対応に感染症病床だけでは足りないということで、行政側は他の病床をコロナ用に回せないかと病院に要請したわけです。

 当初、病院側は積極的ではありませんでした。病床稼働率が収益に響くのに、いつ来るかわからない患者のために何床もベッドを空けておくことに難色を示したのです。そこで、国がベッド空け賃として補助金を手厚く出すことにしたら、協力的なところが増えたという経緯がありました。

 病床そのものが本当に逼迫した状態になったことは、日本ではあまりなかったのではないかと思います。実際に逼迫していたのは、ベッドよりも医師や看護師などの医療スタッフです。ケアするスタッフがそろわなくて対応できなかったというのが実情です。

 重症患者に用いる人工心肺装置「ECMO(エクモ)」にしても、日本は保有台数がとても多いのです。しかしエクモを操作できる技師がまだ少なく、24時間態勢の医療に対応するには2交代、3交代のスタッフが必要になります。

 が、それだけのスタッフを揃えられない状況で他の診療部門には余剰人員がいても、簡単に配置転換できないなど、制度の運用が硬直化しているという側面もありました。コロナ禍の日本の「医療過迫」は、見かけ上の医療スタッフの逼迫、人不足の問題でもあったのです。

 話を病床の多さに戻しましょう。日本はもともとそんなに病床の多い国ではありませんでしたが、1970年代から1990年ごろにかけて、猛烈な勢いで病床が増えました。

 高齢者の医療費無料化を実践した第二次田中内閣が、「一県一医大構想」を打ち出したため、次々と地方に医科大学が新設され、併せて付属病院がつくられました(なお、医科大学が新設され、その後に附属病院がつくられるのは日本特有のやり方で、アメリカなどは異なります)。

 また、自宅でケアできない高齢者のための療養病床がどんどん増やされました。日本には海外のナーシングホームにあたる長期療養型の施設がなかったため、本来ならば病院を退院して療養施設に移るのが望ましい人たちに対して、長期的な入院措置がとられている状況がありました。

 例えば、精神疾患を持つ人たちを収容している精神病床などもそうです。入院というより、社会に出さないための超長期的収容施設です。高齢者用の療養病床が「社会的入院」と呼ばれたのも、それに近い仕組みといえます。こういった長期入院が多いことも日本の病床の多さに関係しています。

 先進諸国は、医療の効率化を目指して入院日数を短縮させたり、病床回転率を上げたりするなどして、病床数そのものを減らす方向に進められています。日本も同じように、病床を減らしたいのです。実際、厚労省が医療計画に基づいて病床の総量規制を求めています。けれども法的に病床の新設を認めないという規制はあっても、病床を減らせという規制はかけにくいです。民業を圧迫することはつねに慎重に行われます。

 国や知事などの行政は、医療機関や医師に対して「命令」することができず、「要請」か「誘導」しかできません。医師免許が強い権限を持っていることにも関連します。日本は、経済も社会も上り調子だった時代にたくさん病床がつくられました。当時の状況からほぼ横ばいのまま、多くの病床がいまも残っているのです。