幕末日本を象徴する遺物の数々

 さて、福山市沖の海底で眠るいろは丸の発掘調査だが、実は正確な場所がわかったのはごく最近のことである。平成元年(1989年)、地元の有志で結成された「鞆を愛する会」によって発見された沈没船の位置は、鞆の浦から15キロメートル沖合の水深27メートルの海底だった。

 その後、京都の水中考古学研究所によって平成17年(2005年)までに数回の調査が行われた。同調査で、船首や船尾をはじめ、船体中央部の、明光丸と衝突した際にできたものと思われる跡も確認できたという。また、周辺から滑車(かっしゃ)などの船具、ドアノブなどの調度品、陶磁器やワインボトル、革靴なども回収されている。

 こうした船体の状況や大きさ、遺物の内容などから、この沈没船がいろは丸であることはほぼ間違いないようだ。特に遺物は和洋の品物が混在し、いかにも幕末日本を象徴するような取り合わせだという。

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 こうした発掘調査において、龍馬が事故当時の積み荷であると主張した鉄砲や金塊は一切、見つかっていない。紀州藩側の資料の中には、「それほど多くもない米と砂糖が積まれていただけ」と記録されている物があるという。どうやら、これが真相ではないだろうか。紀州藩は龍馬一流の“はったり”に敗れたのである。