新制鹿児島玉龍高校の1期生として
卒業した京セラ名誉会長の稲盛和夫

 鹿児島市立の伝統校だ。中高一貫教育で、個性あふれる人材が巣立っている。運動場や芸術棟、理科実験室など施設がすこぶる充実しており、部活動が盛んだ。

「経営の神様」と言われた京セラ名誉会長の稲盛和夫「経営の神様」と言われた京セラ名誉会長の稲盛和夫 Photo:Boston Globe/gettyimages

「経営の神様」と言われた稲盛和夫が、今年8月に死去した。90歳。まさに、「巨星墜(お)つ」だ。

 稲盛は、電子部品大手の京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、会社更生法の適用を申請した日本航空(JAL)を再建した。ベンチャー企業経営者の雄であり、日本の実業界のリーダーだった。

 稲盛は旧制私立鹿児島中学(現鹿児島高校)を経て、1951年3月に新制鹿児島玉龍高校の1期生として卒業した。鹿児島大学工学部応用化学科で有機化学を専攻した。

 1959年に資本金300万円で京都セラミック(現京セラ)を創業した。電子素材、半導体から完成品、システムに至る幅広い製品群を持つ世界有数の優良ベンチャーに育て上げた。

 84年には、電気通信事業の自由化に即応し第二電電を設立、国内の長距離電話の低料金化を実現するとともに、移動体通信事業にも乗り出し、今日のKDDIを築き上げた。

 2010年には、当時の民主党政権に請われて日本航空の再建にタッチ、会長として辣腕(らつわん)を振るった。最近は、いずれの企業でも社長・会長などのポストからは退き、名誉顧問などになっていた。

「世のために役立つことを成すことが、人間として最高の行為である」という理念に基づき、84年には「稲盛財団」を設立した。国際賞「京都賞」を設け、京都大、鹿児島大などに多額の寄付をした。

 若手経営者の育成に強い関心を持ち、経営塾「盛和塾」を設立、国内外で100を超える塾を開いてきた。経営者の間から「カリスマ」視されてきた。

 公職では、91~92年に政府の臨時行政改革推進審議会「世界の中の日本部会」長を務めた。

「日本をよくするには、政権交代が可能な国にするべきだ」との思いから、2009年の政権交代前から民主党(当時)を支援し、政権交代の「陰の立役者」とも言われた。