でも、ソ連のアマレス選手を中心に、プロレスに興味があると聞いた時、俺はピンときた。みんなが反対することほど、それが実現した時の実りは大きい。苦労はあるだろうけど、十分に報われる。それが史上で初めて、誰も手掛けたことがないことならなおさら。

 ビシネスの世界には「人の行かぬ道に花あり宝の山」ということわざもある。他人の後追いばっかりじゃ面白くないしね。そこで俺はみんなに言った。「みんなが反対するから俺はやる。とにかく一回乗り込んで様子を見よう」と。そこで、すぐに倍賞鉄夫部長とマサ斎藤を先発でソ連に行かせた。

 ところが、当時のソ連は電話回線が非常に悪くて、連絡が来ない。行ったきりで、何もわからない。俺はプロレスの巡業が終わってからソ連に発つことにしていたんだけど、前日まで連絡が取れない。さすがに俺もイライラして、「いったい行けるのか行けないのか?」と頭にきてたら、発つ前の日にようやく先発隊から連絡が入った。

「とにかく来てください。何も言わないで来てください」

プロレスも交渉も“受け身”が取れると簡単には負けない

 ところが、その時はまだ実際には全然話は進んでいなかったんだ。

 行ってみたら、なるほどソ連の組織はなんだかよくわからない。いままで日本人が誰も踏み込んでいない領域だけのことはある。やたら総裁とか委員会議長とかが出てきて、話の当事者は誰が誰だかわからない。日本の常識じゃ通用しないんだ。

 ラチが明かないから、一番力を持っているという格闘技連盟のソプノフという局長にアタックした。この人はプロレスをよく知っている。好きだという。日本に来て、実際にプロレスを見たこともある。ところがプロレスを知らない連中がいっぱいいる。もう、最初から反対の構えだ。ソ連側の新聞記者も来たけれど、一様にプロレスというものをウサンくさく見ているのは明らかだった。