いろいろ説明してもわからない。そのうち「プロレスというのは、八百長じゃないのか?」なんて話がかみ合わなくなってきた。

「ショー的要素はあるけど、八百長じゃない」そう言っても、連中にはこの微妙な感覚の違いが理解できないらしかった。そんな微妙な話を、通訳をまじえてやるのはイヤだなと思って、「そういうことはどうでもいいから、とにかく俺の話を聞いて判断してくれ」ということで、俺は演説をぶったんです。

「まず第一に、プロレスとは選び抜かれた人間同士が戦う。その選び抜かれた同士が、感性と表現力を最大限に発揮しながら、お互いの信頼の上で戦うのだ。しかもプロレスは、攻撃一本槍ではない。攻めて攻めて相手を打ち負かすアマレスと違って、相手の攻めを受けて受けて受けまくるところにも美学があるんです。だから強いプロレスラーというのは、相手の選手に得意技をどんどん使わせ、それをトコトン受けて見せてから、最後に相手をこちらの得意技で仕留める。だからこそ観客はコーフンする。プロである以上、入場料を取って技を見せる以上、レスラーの持つ感性と表現力が大事になる」

 それから「信頼」ということにも力点を置いた。「相手と組んで相手が投げにきた。それを受けるのに、頭からもろに落とされちまったらどうなるか、相手に攻めのチャンスをやったのに、本気で腕を折られちゃったらどうするか、とか、そういう問題が必ず出てくる。だからこそ信頼ということが大事なんだよ」と。

「このことを守れたら、俺たちは一万人も二万人もいる満員のお客さんを自分の手の上に乗せることができる。お客さんに怒りとか感激とか、いろんなものを与えることができる。その時の楽しさというか満足感は、たとえようもないほど素晴らしい。ハラショーだ!」

 そう言って話を結んだら、聞いていた連中がテーブルを叩いたね。「俺たちはそれをやりたかったんだ!」というわけでね。そこから話はスムーズにいって、「じゃ、やろう」という方向に進んだのです。

 ところが、「(1989年)4月24日に東京ドームで日米ソの対抗戦という形でやる。ソ連はそれに選手を送る」というところまで話が煮詰まってきて、いよいよ契約……という段になって、またまた話がややこしくなってしまった。

交渉の究極のコツは「いかに腹をくくれるか」

 当時のソ連には、スポーツ委員会の中にもいろいろ複雑な窓口があって、契約になった時に「ソ・インタースポーツ」という契約だけする会社が出てきた。そこの連中が言う。

「どこどこの国に貸し出したサッカー選手は、契約金が何億だった。アイスホッケーの選手の場合は何億で契約した……。だからプロレスの場合も、億の単位で金をもらわなければ契約できない」

 その上、興行した場合の売上の取り分は何%……とか、ややこしいところにぶつかった。その時は仮契約みたいなもので日本に帰ってきて、三月にもう一度訪ソした。

 そして本契約に立ち会うと、やっぱり前と同じで話にならない。全然。俺も頭にカーッときた。なんてガメつい連中なんだと。やっぱりかつて中立条約を破棄して日本を攻め、北方領土の四島を切り取った国か、と思いましたよ。

「ダメだダメだ。これじゃ話にならん。この話、もうやめよう!」。俺は書類をぶん投げた。相手は「なぜだ?」と言う。

「なぜかっていったら、俺たちはあなた方のために一生懸命やってるんだ。どうしてそんなにカネ、カネと言うのか?俺たちだって商売だから儲けたいんだ。これをキャンセルすることによって、おそらく我々は致命的な痛手を負うかもしれない。その代わりあなた方も、国家的レベルの問題として大損害を受けるんだ。そんなことならもう結構だ!」