一方で、首長は住民から直接選ばれ、本来有している権限を適正に執行できれば、自分たちのまちをより良く、大きく変えることができます。そういう意味で、市長は大統領のように大きな影響を与える政策を実行することができるのです。

 日本の議員内閣制のもとでは、良くも悪くも政治は安定的になってしまいます。

 大きな変化を望むのは難しい枠組みです。新たな政策を実現しようとしても、まずは多数派工作が待っています。とにかく賛同者を増やさなければ話になりません。でも、「正しいから」「良いことだから」と賛成してもらえるほど、単純には事は運べません。

 現実は、与野党の攻防、党内の派閥争い、さらには業界団体などの意向に加え、過去の経緯なども含め一筋縄ではいかない事情が複雑に絡み合い、横やりが入り、利害調整に無駄な時間と不毛な労力を割くことになります。総理大臣だけは、その気になればかなりのことができるはずですが、そこにたどり着くには、はるか遠い道のりです。

 しかし国とは違い、自治体のトップは自らさまざまなことができるポジションです。

 加えて、ある政策のニーズが高ければ、そして、そのまちの住民が動けば、全国どこのまちでもその政策を実現することができます。

 私はこれまでも機会あるごとに声を大にして、そう言い続けてきました。

「誰がやっても同じ」はウソ

「政治なんて誰がやっても同じ」と考えるのは、大きな間違いです。誰を選ぶか。市民一人ひとり、あなたの選択が、政治を良い方向にも、悪い方向にも変えていきます。

 政党から出ないと勝てないと思い込み、政党に依拠して当選した政治家に、市民のほうを向いた政治ができるはずがありません。選挙のときは威勢のいいことを並べ立てても、当選してしまえば特定政党に寄りかかった方針にならざるをえないのです。

 政党や団体の応援があれば選挙に勝てる。そんなパターンを覆した選挙こそ、明石市の市長選でした。

 私は、どの政党の応援もなく、どの業界団体の応援もなく、2011年、2015年、2019年3月と4月、4度の市長選挙を勝ち続けてきました。

 大事なのは「市民」。見るべきは「市民」。支持母体は「市民」。

 いつまでも政党や企業、団体に頼る選挙をしているようでは、冷たい社会は変わりません。選挙の段階から、私たちの未来につながる政治は始まっています。

 暮らしに直結する政治から目を逸らさず、チェックする。私たち市民のほうを向かなければ勝てない選挙にする。そして、私たち市民のための政治をする人を選ぶ。身近な地方選が変わっていけば、国政選挙も必ず変わっていきます。

 誰がやっても同じだなんて、そんなことはありません。大事なのは、行動することです。