まず、所得制限を付けて給付金を支払うことにすると、個々の家計の所得のチェック等に手間が掛かる。行政にあって手間とは同時にコストでもある。また、この判断のプロセスを持つことで、自治体などが余計な権限を握ることがある(生活保護を巡る「水際対策」のような事態は避けるべきだ)。

 加えて、「一律に支払って、公平と思われる形で税金を取る」という運用なら、個人のデータ管理が効率的ではないわが国のようなDX(デジタルトランスフォーメーション)後進国でも、公平な富の再分配を行うことが可能だ。

 では、その仕組みはどの程度公平なのか? 税制が公平であると判断される程度に準じて公平だというのが答えだ。財務省も文句はあるまい。

 ちなみに、仮に財務省の中にひたすら増税を実現したいと思う人物がいたとしよう。彼・彼女にとって、所得制限なしで一律に給付金を支払って、後に財源を手当てする形は、増税を「所得の再分配」の文脈で訴えることができるので単なる増税のごり押しよりも好印象なはずだ。もちろん、それ自体が再分配政策として適切に機能し、評価される可能性もある。

一定額の現金を
一律給付するメリット

 ちなみに、児童手当と呼ぶにせよ、子ども手当と呼ぶにせよ、毎月単位の継続的で一定額の現金給付には次のようなメリットがある。

 まず、使途が自由だ。同額の支援を受けられるなら、「教育費」などと使途が限定されるよりも、食費にも娯楽費にも使える方がいい(経済学的には効用が高い)。

 また、「毎月幾ら」という継続的な定額給付が見込めるなら、家計にとって生活設計がしやすい。コロナで配った10万円の一時金の給付は、先の収入の見通しが立たないので貯蓄に回りやすい。

 加えて、一律に定額給付されるなら、生活保護の申請のような「恥」の感覚を伴わない点も優れている。低所得者を努力不足だと見下すような価値観が世間に漂わない点でも、所得制限なしで、一定額が一律に給付される仕組みはいい。