自動車は、大きな技術変化が100年目にしてようやくHVやEVというゆっくりとした技術変化を特徴とした産業である。そのEVにしても、100年前に全く同じコンセプトで米国企業が開発販売したケースがあり、当時のバッテリー性能の事情から一時市場から姿を消したものの、EV自体もそれほど新しい技術コンセプトではない。
自動車は小型の家電製品などと違い、大きなボディが高速で移動する。自動車が衝突するときのエネルギーは速度の二乗に比例するため、少しでもスピードをオーバーすれば大事故に繋がり、人間の生命や財産に大きなリスクを及ぼす製品でもある。
だからこそ、自動車の安全性能は販売時に顧客には見えにくい技術かもしれないが、長年にわたって既存の自動車メーカーが築き上げてきた能力の蓄積でもある。こうした地味だが極めて重要な企業の組織能力を見落とすと、100年に一度あるかないかという自動車の大きな基幹技術の非連続な変化に際して、顧客から目に見えて目立つ基幹技術の変化にだけ目を奪われ、安心安全に関わる既存企業の能力が失われる。それは自動車産業や我々の社会にとって、大きな損失となるだろう。
非技術的な要素で差別化された
日本車の情緒的価値
自動車は大きな技術的な変化が相対的に少なかった分、非技術的な要素で製品の差異化を図ることを得意としてきた。同じ基本シャシーであってもセダンやクーペー、SUVのように用途の異なる自動車を提案し、外装デザイン、車内のインテリアデザインなどに趣向を凝らして顧客の感性や情緒に訴えかける情緒的価値の創造を得意としてきた。
それに加えて、自動車が安心で安全な乗り物だということを示し、顧客に安心感や信頼を与えることも、自動車メーカーが創造する大きな情緒的価値である。それは単なるイメージではなく、安全にかかわる長年の経験に基づく技術やノウハウがものをいうところであり、一朝一夕で獲得できる能力ではない。