ヒコさんに追いつき、手を握った。こうした場合、どういうふうにけじめをつけたらいいのかと思った。研修では、自閉症の人を言葉で言い聞かすのは効果がないと聞いていたので、わかりやすい方法で締めくくりにしようと考えた。二人で向かい合い、顔を近づけた。
「一人で外に出てはいけません。知ってるよね」
ヒコさんがうなずく。
「ヒコさんは勝手に外出したから×(バツ)、松本さんはヒコさんを外に行かせたから×、二人とも×だから、二人で罰を受けましょう」
そう言って、互いの額を目から火が出ない程度にゴチンとぶっつけた。ヒコさんは一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「僕も同じくらい痛かったよ」
私がそう言うと、ヒコさんは笑顔になって先導して帰りの石段を上がり始めた。
どういうわけか、帰り道はずっとご機嫌で、歩みの遅い私に腕を組んできて階段を下りるのを助けてくれた。
感情で叱ったことはありません。
私の腰痛が癒えて半月ほどしたころ、月例の職員会議があった。平日に行なわれ、その日シフトに入っていない人もなるべく出席することになっている。
この定例会議には、同一法人傘下の施設4カ所を見ている小川宗治エリア長も必ず参加する。
会議は朝10時に始まり、本部からの通達や、ホームの行事連絡などが続いたあと、昼食を挟んで利用者一人ひとりについての報告に移った。
2階女子フロアの責任者・下条美由紀さんと1階男子フロアの責任者・西島耕平さんが、それぞれ用意したレポートをみんなに配り、利用者一人ひとりの様子を報告する。あっさりと終わる利用者もあれば、問題が起きて長くなる利用者もある。
小川エリア長は利用者一人ひとりについて、どんな対応をしたのか質問しながらアドバイスをする。時にユーモアを交じえ、会議は和気あいあいとしていた。
こうして午後の会議は瞬く間に終了時刻を迎えた。夕刻になると利用者たちが帰ってくるのでその前に終わらなくてはいけない。議長の小川エリア長の終了宣告とともに職員がいっせいに立ち上がり、1階の狭い事務室のタイムレコーダーの前は大混雑になる。西島さんから声をかけられた。
「ちょっとすみません。先週の避難訓練に参加されなかったから、その伝達があるのですが、少し時間ありますか?」
「はい、大丈夫です」
「この混雑ですから2階に行きましょう」
階段を上がると、まだ利用者も帰ってきていないのでリビングはがらーんとしていた。そこに小川エリア長がひとり座って待っていた。
避難訓練の伝達になぜ小川エリア長が同席? と疑問に思った。
「どうぞ、ここへ」と言われて向かい側に座ったが、小川エリア長も西島さんもいつもと違って表情が硬い。日差しのよく入る2階のリビングなのに陽が陰ったような気がした。西島さんから避難訓練の資料を渡され、その説明はすぐに終わった。
するとそのタイミングを待っていたかのように、それまで黙っていた小川エリア長が口を開いた。
「聞こえてきた話があって、ちょっと確認したいのですがね」
「はい、なんでしょう」
「ヒコさん、いや迫田さんにね、松本さんが頭突きをしたという話が耳に入ってきましてね」
そこまで言って、緊迫した表情でこちらの顔を見ている。あの日のことを誰かが知ったのだ。マズイことになるのではないかと心配になった。
だが、どうすることもできない。あの日、腰痛で走れなかったこと、ヒコさんが私を待ちながら逃げていたこと、神社を越えたところで逃げるのをやめたこと、頭をゴッチンコしたあと一緒に帰ったことをすべて正直に話した。そして最後にこう言った。
「互いのおでこをゴチンと当てました。ただ私はこれまで感情で利用者を叱ったことは一度たりともありません」
『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)松本孝夫 著
感情で利用者を怒らない。これはこの仕事に就くときから自らに言い聞かせていたことだし、実践している自負もあった。
聞き終わると、小川エリア長の雰囲気は一変して、いつもの磊落(らいらく)な調子に戻っていた。
「そういうことでしたか! 何も心配することはなかったんだね」
西島さんに向かってそう言うと、笑顔を見せて立ち上がり、どかどかと大きな身体をゆすらせて階段を下りていった。それ以降、小川エリア長も西島さんも、その件について私に注意したり指示したりすることはなかった。







