戦後の東大の教養学部と京大の教養部は名前こそ似ているが、その組織の位置づけは全く異なっている。東大の場合、新入生は全員まず教養学部に入学する。東大の入試が文科一類、二類、理科一類、二類のように学部になっているのは、文科一類はなんとなく法学部に進み、文科二類はなんとなく経済学部に進むという感じになっているものの、厳密には1年生は全員、教養学部に入るためである。
一方京大では、学部ごとに入試が行われ、1回生(西日本では大学生は〇年生ではなく、〇回生と呼ぶ習慣がある)はそれぞれ専門の学部に籍を置きつつ、かつては教養部で一般教養を学ぶという仕組みになっていた。
教養科目のとり方に見る
東大生と京大生の根本的な違い
東大の場合は、教養中心主義とも呼ばれるが、一般教養を最初の2年間で全員がしっかり学ぶことが求められる。入学してからも遊んではいられない。なぜなら2年生に進学振り分け(進振り)が待っているからだ。
「文一はなんとなく法学部」と思われているが、教養学部在学中に成績が悪いと必ずしも希望の学部に進学できないといった、一般教養の成績で進学先が振り分けられる仕組みが進振りである。さらに、一般教養の単位はすべて最初の2年間で取得しないといけない。2年間で一般教養の単位をすべて取得しないとそこで留年となり、3年生にはなれないのが東大の仕組みだ。
一方の京大は、「教養科目も専門科目も、それぞれの学生が好きなときに取ればいい」「なんなら、好きなことをやるために一般教養は楽勝科目でお茶を濁してしまえ」というのが一般的であった。現在の京大生の名誉のために言うと、昔に比べたら今の京大生はとてもまじめに授業をとっている。それが良いことかどうかは別として……。
そもそも全員が入学時点で所属する学部が決まっているので、進振りのような入学以降に決められた学習コースを守らなければならないということがない。なんなら3回生以降に一般教養科目を持ち越しても構わない。かくいう筆者も、最後まで足りなかった単位は専門科目ではなく一般教養科目であった。
とにかく、4年間の間で好きなときに好きな順で単位を取ればよいというのが京大のやり方であった。そのため京大は教養学部ではなく、教養部であった(教養部の先生方は他学部と同列でなかったことに長年異議を唱え続け、1992年に教養部が現在の総合人間学部に改組されたという歴史もある)。