昨年8月にその生涯を閉じた稀代の経営者、稲盛和夫氏。京セラ、KDDIを創業し、経営破綻に陥ったJALを立て直した輝かしい経営手腕はもちろん、その人生哲学を信奉する人も多い。2023年3月発売の新刊『熱くなれ 稲盛和夫 魂の瞬間』では、稲盛氏の情熱の思想と共に、彼を直に知る人々が明かした貴重なエピソードが紹介されている。稲盛氏が20人で始めた第二電電(後のKDDI)の新入社員であり、今や4万人以上を擁するKDDIの社長にのぼり詰めた高橋誠氏(高の文字は正式には“はしごだか”)の回想を、この本からフルバージョンで、前編・後編の2回に分けて掲載する。今回は後編をお届けする。前編は『KDDI高橋誠社長が明かす「稲盛和夫さんと過ごした新人時代」の幸運』。(KDDI社長 高橋 誠、インタビュー/上阪 徹)
シュレッダー当番を新入社員たちが奪い合い
稲盛さんはじめ、当時の経営陣がよく言っていたのは、「とにかくやるしかない」でした。狭いオフィスは熱気に満ちていましたね。新人だった僕たちも、やがていろんな戦略を考えるようになるんですが、手取り足取り教えるというよりは、任せていくスタイルでした。
そうなると、上層部が何を考えているのか、情報がほしい。そこで始まったのが、シュレッダーの当番の取り合いでした。上層部が会議をしているのは5階のフロア。それが終わると文書を破棄するよう頼まれるんですが、シュレッダー機は1階にあった。
そこで、1階に運ぶまでの間に、何が書かれているのかをのぞき見したんですね。やっぱり興味があるじゃないですか。
例えば、長距離電話をどんな方式で敷設していくか。光ファイバーもあるし、衛星もあるし、マイクロウェーブもある。当時の最先端は、光ファイバーでしたが、第二電電はそれを敷設する用地を持っていませんでした。
競合は国鉄と道路公団をベースとした会社でしたから、鉄道と高速道路という用地を持っていたわけです。用地がないので、僕は衛星でやるのかと思っていたんですが、衛星は遅延があるんですね。それで、これではいかんと稲盛さんが最後に決断して、マイクロウェーブでやることになった。
こうした意思決定のための資料も、僕たちがつくるわけですが、結論は会議で決められるので、その様子がわからない。だから、シュレッダー係は貴重だったんです。
マイクロウェーブを使うことが決まり、東京―大阪の間で11カ所の中継基地を設置することになりました。中継基地を無線でつないでいくんですが、新入社員から一人2局ずつ割り当てられました。
まずやらないといけないのは、中継基地を置く土地を購入することでしたが、これが大変でした。「第二電電です」と言っても、わかってもらえない。しかも、設置するのは、山の中だったりするわけです。一生懸命、山を歩いたのを覚えています。
そして長距離通信の事業が軌道に乗っても、稲盛さんはチャレンジを続けるんですね。それを思うと、いわゆるサラリーマンというのは、やはり新しいことを考える癖がないのではないか、と改めて思います。車座のコンパに相変わらずやってきては、こんなことをやりたいんだ、と常におっしゃっていました。