僕もSpotifyではアルコ&ピースの酒井健太君と三四郎の相田周二君の「83 Lightning Catapult」、火矢万鉄さんのツイキャス配信、GERAではザ・マミィの「ネズミの咆哮」、Radiotalkでは「ガクヅケのあつあつやりとりラジオ」をたまに聴かせてもらっている。
リスナーの身としてはより取り見取りで選び放題、楽しくて仕方ない。放送局で番組を作る身としては数あるラジオの中で自分が担当している番組が選ばれるように人選もクオリティも磨いていかなければならない。
ラジオ局のアドバンテージは、音声コンテンツ作りのノウハウと蓄積されてきた知見。言ってしまえばそれだけ。あとは既存の音楽を流せるとか。地上波ラジオの価値ってこれからどう変わっていくのだろう。ラジオ局それぞれのブランド価値はまだ少なからずあると思うけど。仮に中の人が流出したらアドバンテージもへったくれもない。超脆弱だと感じる。のん気にしていられないしチャンスの宝庫でもある。
「ハライチのターン!」がきっかけ、新しいマネタイズの方法
ここまでは、どちらかというと外的要因での変化。内的要因としては、経営的なことが大きい。「マネタイズ」って言うとカッコいいけど、要は金策。
民放の番組にはお金を出してくれるスポンサーが不可欠だ。ではスポンサーはどんな番組にお金を出すのか。もちろん、たくさんの人が聴いている番組だ(セグメンテーションやターゲティングみたいな細かい話は置いといて)。放送局はコンテンツに人を集め、企業の広告をより多くの耳目に触れさせて広告費を得る。昔はそうした放送収入で生計を立てられたけど、だんだん食べられなくなってきた。そして放送外収入を得るため試行錯誤している(今ここ。っていうかずっとここ)。
ラジオで言うと、イベントを開いたり、グッズを売ったりする事業収入、ファンクラブ的な会費ビジネス、コロナ禍に入ってからは配信イベントも顕著な例。サブスクを始めた局もある。事業施策はニッポン放送のすごさに圧倒される。華やかで大規模で勢いがある。あと、音楽は強いなぁって常々思う。僕としたら今ある資源と環境でできる限りを尽くすしかないのだけど、やっぱり消化不良感は否めない。十万人規模で人が集まった「ラジフェス」のあの“リスナー熱”は忘れられない。本分の一つである放送収入も大きく変容した。単純にCMを流すだけでなく、タイアップ企画を行うことが増えた。「ハライチのターン!」には今、ひっきりなしにタイアップの声がかかる。ありがたい。
昨今、リスナーは業界の事情を(誤解も含め)よく知っている。ラジオは斜陽だとか、経営が苦しいとか。さらに世間のステマに対する嫌悪や、良くも悪くも「なんでもオープンに」という空気がある。裏表なく、なんでも可視化されちゃう今の世の中にあわせ、番組側の気持ちや思惑、そして経緯を全てオンエアしたほうが潔い。大きなきっかけは、「ブタメン」を販売する「おやつカンパニー」さんとのお付き合いだった。番組で昔よく食べていた「ブタメン」についてトークしたところ、リスナーにおやつカンパニーの社員さんがいて商品を送ってくれた。だけど、岩井勇気君が冗談半分で「商品を送ったら紹介してもらえると思ってんだろ?俺たちはキギョックスフレンドじゃないんだよ!」と悪態をついた。
ハライチの岩井さん、宮嵜さん、ハライチの澤部さん
「キギョックスフレンド」という“企業”と“セックスフレンド”を合体させたパワーワードがTwitterのタイムラインを中心に盛り上がった。そのオンエアを聴いてタイムラインも見ていたおやつカンパニーのリスナー社員さんから翌週お詫びのメール(もちろんコントのノリとわかって)が届いて、一週間限定でスポンサーになっていただくことになった。内側やストーリーを全てオンエアしたことが功を奏し、おやつカンパニー提供週で行った「#ブタメン収穫祭」は一時間でツイッターの日本トレンド一位を獲得。番組、リスナー、出演者、スポンサー、みんなが満足する取り組みになった。
このスタイルを確立して以降、コンスタントにタイアップが行われている。かつて毛嫌いされがちだった営業案件だって、番組の創意と工夫でなんとかなると実感した。ラジオはやっぱり“リスナーと一緒に熱を上げていくこと”で「思い」が「力」に変わる。
この20年でラジオが変わらなかったこと
ラジオを変えてきたもの……。振り返るとこの20年で結構あった。
どれもこれも功罪や良し悪しがある。そう思うのは単純に僕が古臭い考え方に凝り固まってアップデートできていないからだ。新しいものや有用なものを取り入れてラジオは進化していかなければならない。時代やニーズに適応して世間に即し、リスナーにとって価値のあるものを提供し続けなければならない。その反面、変わらないもの、変わってほしくないもの、変えちゃいけないものはある。
例えば、地震や台風など災害時の情報源としての役割だ。
もう二度と起きてほしくないけど、東日本大震災当日の話。僕は「おぎやはぎのメガネびいき」の生放送を終え、金曜日の朝に帰宅して就寝。昼過ぎに起きてお風呂に入り、出てバスタオルで身体を拭きながら、向かいの部屋で当時二歳の長男が本棚によじ登って絵本を取ろうとしているのを眺めていた。パンツを穿いた瞬間、今まで経験したことのない揺れを感じ、とりあえずパンツ一枚で長男を抱えて本棚から離れた。右手で長男を抱っこ、左手でテレビを押さえた。揺れが止むのを祈ることしかできなかった。ラジオとテレビをつけて何が起きたか情報を得る。
当時、金曜日はお休みだったけど、会社へ行こうと駅に向かった。当然、電車は動いていない。タクシーもいない。就業日じゃなくて休日だから、ということにして自家用車で赤坂に向かった。特に役に立ったとは思えなかったけど何かしていないと気持ちがおさまらなかった。夜中に帰宅。道路が大渋滞で赤坂から亀有まで五時間かかった。途中、道路の真ん中で全く進まない車が何台もあった。運転席を見ると、どの車もドライバーが眠気に耐え切れず車中で寝ていた。
「今週のJUNKは冒頭十分、生放送でパーソナリティが声を届ける」
池田プロデューサー指揮のもと各曜日のパーソナリティがリスナーを励まそうと自分たちなりにエールを送った。災害時に正確な情報を届ける。不安な人に寄り添う。これはラジオの使命。何がどうなろうとこれは変えちゃいけないと強く思う。
誰も置いてけぼりにしない、どことなく温かい感じ。
いつもそこにいて、安心できる場所。
僕が初めてラジオに抱いた感謝。
これは忘れないでいたい。








