「エンタメ界の重鎮」と「教員」の性犯罪が似ている3つのワケ
では、エンタメ界の重鎮と聖職者という一見すると、まったく住む世界の異なる両者の性犯罪スタイルがなぜこうも似通っているのか、というと理由は以下の3つだ。
(1)「人生を左右する立場」なので子どもを服従させられる
(2)社会的信用があるので、被害者が騒いでもねじ伏せられる
(3)周囲に権威に弱い人々が多いので、味方になってくれる
まず、(1)の<「人生を左右する立場」なので子どもを服従させられる>は詳しい説明は不要だろう。
今回、被害者の多くが、ジャニー氏の「行為」を受け入れると、舞台などでいい場所で踊れるようになったなどの「見返り」があったと述べている。逆にジャニー氏を「拒絶」すると、いつの間にか事務所に居場所がなくなって消えている、と回答していることからもわかるように、被害者は自分の未来を「人質」に取られている形なので、絶対権力者・ジャニー氏に服従させられてしまうのだ。
これは「わいせつ教員」も同じだ。埼玉県の「児童生徒に対する わいせつ行為」という資料には、被害児童のこんな声が記されている。
「成績のこと、進路のこと、今後の学校生活を考えると言い出すことができなかった」
事務所内の絶対権力者がジャニー氏だったように、小中学校の絶対権力者は教師だ。機嫌を損ねたら、成績を下げられるかもしれない。クラス内で露骨な冷遇をされるかもしれない。そういう恐怖があるので、子どもたちは、わいせつ教師が求めるまま、「行為」を受け入れて、それが終わるまでただ震えて黙っているしかないのだ。
(2)の<社会的信用があるので、被害者が騒いでもねじ伏せられる>というのは、一連の報道が出た後の、藤島ジュリー景子社長の「謝罪動画」がすべて物語っている。
ジャニー氏の「セクハラ行為」については「週刊文春」が1999年から報道して、裁判でも認定されている。05年にはジャニーズ事務所にかつて在籍していた木山将吾氏がジャニー氏の「愛人」だったという衝撃的な暴露本も出して注目を集めた。
しかし、藤島社長は社会がこんな騒ぎになっても、叔父の行為を「知らなかった」と言い切った――。
これは正確には「知ろうとしなかった」ということだろう。日本の男性アイドル文化をつくってきたジャニー氏のような社会的信用のある人物が「疑惑」を否定すれば、周囲は「ですよね」と簡単に迎合する。「被害者」を名乗る人間がいくら騒いだところで、誰も耳を貸さない。つまり、簡単に握りつぶせるのだ。