発泡酒の「淡麗」は、年末までに3974万箱が売れる。販売目標の1600万箱を大きく上回っただけではなく、ビール類(ビール、発泡酒、新ジャンル)のすべてにおいて、新商品の初年度の販売記録となる。2022年まで、この記録は破られていない。

 ライバルから遅れたものの、アサヒが2001年2月に発売した発泡酒「本生」は大ヒットした。年末までの初年度販売数量は3900万箱と、「淡麗」初年度に匹敵する販売量を記録する。ただ、「淡麗」が「一番搾り」と競合したように、「本生」によって「スーパードライ」の販売量が落ちてしまう現象もあった。

 この「本生」のヒットは、キリンVS.アサヒの戦いに決定的な影響を及ぼした。この年、ビール・発泡酒の総市場で、アサヒはついにキリンを抜き、首位に立ったのだ。実に48年ぶりとなる、ビール業界の首位逆転劇だった。シェアはアサヒ38.7%(前年は35.5%)に対し、キリンは35.8%(同38.4%)だった。

 この逆転劇を、キリンのある首脳はこう評した。

「単純明快なアサヒが、複雑怪奇なキリンに勝った」

 アサヒビール元会長の瀬戸雄三は2002年4月2日の筆者の取材に対し、次のように話した。

「商品力がまだ強かった『ラガー』を、キリンが1996年に熱処理ビールから生ビールに変えたためです。キリンの敵失に助けられた」

 企業間競争とは巨大な団体戦である。戦力の優劣だけではなく、敵失が流れを一気に変えてしまう。また、子会社のニッカウヰスキー出身で、2021年からアサヒグループホールディングス社長を務める勝木敦志はこう語る。

「ビール商戦が過熱した1990年代後半、アサヒは中途採用を積極的に行いました。設備はお金で買えても人はそうはいきません。特に営業マンがいなければどうにもならない。バブル崩壊の影響もあって、特に1997年以降、証券会社や銀行、保険会社が相次ぎ破綻していきます。その結果、優秀な人材を採用しやすい環境になったのです。そうした中途採用社員によって、アサヒには自然とダイバーシティ(多様性)の文化が醸成されていったのです」

土壇場で気付いた原点回帰
「新キリン宣言」でカスタマー重視へ

 日本中に衝撃を与えた、「首位交代劇」の直前、キリン社長の荒蒔康一郎は「次の一手」に動いていた。すでに2001年商戦の趨勢が見えた2001年11月、荒蒔は「新キリン宣言」を社内向けに発表する。その中で、