「おいおいそうきたか。寝ていやがったな」

 私が支度をして迎えに行っても間に合わないので、さださんが車で私のアパートに迎えに来てくれます。木造アパートにベンツ横付け。「乗れ!」と助手席に乗って羽田へ。アーティストに運転させて走る晴れた海沿いの首都高速……その景色のなんて美しく、つらかったこと。

「お前らも、休みもなくやってくれているからな」

 さださんは言わば上司。というか当時の事務所の社長でもあります。失敗してもそんな言葉をかけてくれて、フォローまでしてくれる。自分が部下を持ったらこんな風にできるのだろうか? と当時ふと思ったこともあります。

 秋田県民会館でのコンサートの時のこと。その頃も本当に過密スケジュールで、さださんはかなり疲れていました。秋田の翌日は山形県県民会館でのコンサートです。隣の県とはいえ、移動に3時間以上かかります。本当は翌朝列車で移動だったのですが、終演後にタクシーで山形へ移動しておいて、さださんには山形のホテルでゆっくり寝てもらおうとなりました。

 ただ、当時のタクシー事情は今とは違いシートなどが快適とは言えません。3時間以上の移動はつらい。楽屋でさださんが、「首枕とか、手に入らないかなあ」と呟きます。

 当時のマネージャーは若手三人体制。チーフの廣田さんと、制作担当の私と、付き人的な田村くんの「さだ企画三バカ」と呼ばれていた時代です。その秋田には廣田先輩と私が付いておりました。

「わっかりました~!」と、廣田先輩と私が楽屋を飛び出しますが、さあ大変。当時は海外旅行などでしか使われなかった空気で膨らます首枕(ネックピロー)。東京でもなかなか手に入りません。それを地方都市の夕暮れ時に見つけることができるのか?

 現地のプロモーターの方も「見たことないですねえ」と予想通りの答え。廣田先輩と手分けして、閉店前の百貨店に飛び込んで聞いてみても見つからず。それでもあきらめないのが芸能マネージャーですが、マネージャーだけどもやはり三バカと呼ばれた本領を発揮してしまいます。

 秋田県民会館は城跡にあります。ちょうど桜祭りの頃、夜店がたくさん出ています。そしてある夜店にふたりの目が釘付けになりました。そしてお互いに目を合わせます。「ないのなら、似たようなもので……」