周東美材 著
山口百恵は、「青い性」路線を突き進むなかで、「不良少女」との誹りを受け、同世代の娘をもつ母親からは多数の苦情が寄せられたという。だが、山口百恵が体現した少女像は、そのような抗議の声にもかかわらず、近代家族の規範を転覆させることはなかった。
というのも、山口百恵は少女時代から「愛し合っていれば、肉欲を含めて愛し合うのは当然」、「結婚後、ためらわず自然の導くままに子どもを産もうと思っている」と考え、性愛と恋愛と生殖の一致を疑わないロマンティック・ラブの規範を内面化していたからである。
そればかりか、彼女は、「家庭は、女がごくさり気なく、それでいて自分の世界をはっきりと確立することのできる唯一の場所なのではないだろうか」とも主張するようになっていった(山口百恵『蒼い時』集英社、46頁、49頁、111頁)。
この主張には、まさしく1920年代以降確立した「家庭内役割の遂行を通じた女性の主体化・国民化」(小山静子『家庭の生成と女性の国民化』勁草書房)という近代家族のロジックが反復されていた。
酒井政利は、山口百恵の成長後の戦略として、「将来はシャンソンなども歌っていったらいいのではないか」などというプランも検討していた。だが、彼女は、ありえたかもしれないシャンソン歌手の道は選ばなかった。むしろ、「女房」として生きる道、家族のためにキルトを縫う生活を選び、結婚とともにステージにマイクを置いて一切の芸能活動を封印していったのである。