歌を媒介にして自身の成長を
把握し意味づけていた山口百恵

「第2期」の途中、1977(昭和52)年10月に発表されたさだまさし作詞・作曲の《秋桜(コスモス)》で、山口百恵は、受苦と忍耐と諦念の人生を送ってきた母と、その娘を歌った。夜なべをして手袋でも編みそうなこの母は、「日本における母のステレオタイプを完全に担った、哀しく弱く慈愛に満ちた母」(小倉千加子『増補版松田聖子論』朝日新聞出版、101頁)であり、苦労するとわかっていながら娘を嫁がせ、自分と同じ人生を歩ませようとする残酷な母でもあった。

 こうして嫁ぐ娘やホーム(故郷・家庭)を求める悪女といった主題が次第に強調されるようになると、山口百恵は、谷村新司作詞・作曲の《いい日旅立ち》によって「第3期」に入った。

 年下男性に対して性的主体となったり、車で一人旅に出たりしたこともある悪女は、今度は母の背中で聞いた歌を道連れにして、「日本のどこかに 私を待ってる人がいる」と信じて再び一人旅に出ていった。

 この娘は、やがて日本の妻となり、日本の母となることで、近代家族の制度に回収されていくことを選んでいったのである。そして、いまや、《秋桜》も《いい日旅立ち》も、2007(平成19)年に文化庁が編纂した『親子で歌いつごう日本の歌百選』に選ばれ、学校唱歌《故郷》や童謡《赤蜻蛉》、《かあさんの歌》や《こんにちは赤ちゃん》と並ぶ「公定」のポピュラー音楽になっている。

 むろん、素朴な少女から性器をもった少女へ、最終的には日本の妻・母へという成長物語は、酒井政利たちによるプロデュース戦略が結果的に辿った軌跡であり、山口百恵本人の意志や人格とは本来は別のものである。

 しかし、彼女が「女の子の微妙な心理を、歌という媒体を通して自分の中でひとつひとつ確認してきたように思う。その意味で私は、歌と一緒に成長してきたと言っても過言ではない」(山口百恵『蒼い時』集英社、36頁)と述べているように、山口百恵は提供される歌を媒介にして、自身の成長を把握し、意味づけていた。なかでも彼女を大人の女性へと成長させる導き手となったのが、阿木燿子だった。