こうした家族的なムードのなかでの成長・変身物語は、洗練された雰囲気よりも素朴さに満ちていた。当時、日本テレビの映画部編集課で映像編集のアシスタントをしながら「スター誕生!」の制作を横目で見ていた佐藤幸一は、「スター誕生!」はかなり意識的に「芋っぽく、泥臭く」作られていたと指摘する。

 番組スタッフや審査員は、本来は、かなりの洒落者で、流行や海外の音楽にも通じ、高級外車を乗り回すような「洗練されたおじさんたち」であった。にもかかわらず、彼らが手掛けている仕事の内容は、池田文雄による「花の中3トリオ」などというネーミングをはじめとして、いかにもダサく、1970年代当時にあっても野暮な印象を与えた。そうした演出は、「意識してやったとしか思えない」と、佐藤幸一は筆者のインタヴューに応えて語った(2018年5月14日)。

「スター誕生!」は、素朴な少年少女たちの泥臭い成長・変身物語を意識的に演出していった。そうして演出された一連の成長・変身物語によって、トップクラスの人気を誇ることになったのが山口百恵であった。

「大切なものをあげるわ」
「青い性」路線のピーク

 山口百恵は、少女の成長を演じ、1970年代を代表するアイドルとなっていった。

 山口百恵を獲得したCBSソニーのプロデューサー・酒井政利は、その第一印象を「ズドンとそこに立っている女の子」だったと語る。当時のアイドルといえば、天地真理のように、雲の上から微笑みかける天使のような、あるいはメルヘンの主人公のようなイメージが定番だった。それに比べると、山口百恵は普通の少女にしか見えなかった。だが、この敏腕プロデューサーは、彼女の「大地を踏みしめるようなたくましさ」や、一重まぶたの「古風な顔立ち」に新しいスター歌手の出現を予感したという。

 酒井政利は、彼女のプロデュース戦略として、「成長過程をそのまま歌にしていく私小説風の方法」を選んだ。そして、結果的には「第1期」から「第3期」と整理されるような少女の成長物語が演出されていったのである(酒井政利『不可解な天使たち』廣済堂出版、21頁―66頁)。