AI時代、最重要の教養の一つと言われる「哲学」。そんな哲学の教養が、一気に身につく本が上陸した。18か国で刊行予定の世界的ベストセラー『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』(スコット・ハーショヴィッツ著、御立英史訳)だ。イェール大学オックスフォード大学で博士号を取得した哲学教授の著者が、小さな子どもたちと対話しながら「自分とは何か?」から「宇宙の終わり」まで、難題ばかりなのにするする読める言葉で一気に語るという前代未聞のアプローチで、東京大学准教授の斎藤幸平氏が「あらゆる人のための哲学入門」と評する。本稿では、同書より特別にその一節を公開したい。

しつこい「子どものワガママ」が一発で収まるすごい一言Photo: Adobe Stock

ワガママが収まらない

 子どもたちは、権利について学ぶうちに小さな法律家になった。自分の権利を主張できるようになり、だれかが権利侵害を訴えてきたときに自分を弁護できるようになった(注:本書の前段で、著者は息子たちに「権利」のレッスンを行なった)。

 実際、ハンクは権利の何たるかを知ると、いたるところでそれを主張するようになった。

 子どもたちを連れてタコス料理の店に行った夜のことだ。ハンク(当時6歳)は、ソフトドリンクのコーナーにファンタがあるのに気づき、飲んでもいいかと20回近くたずねた。私たちはその要求を却下し、食事をした。

 ハンクは不機嫌になり、だだをこねはじめた。そして、私たちが彼の権利を侵害していると訴えた。

「何の権利のことかな?」と私はたずねた。

「何を飲むか決める権利だよ」

「そんな権利があるの?」

「あるさ!」とハンクの言葉に力がこもる。

どうして?

 この問い返しは子育てで使える便利なテクニックで、私のお気に入りだ。

「なぜ?」のひと言で、子どもに考えさせる

 少し説明しておくと、子どもは「なぜ?」という言葉を武器のように振りまわす。たいてい純粋な好奇心からの質問なので、ていねいに説明することが望ましい。しかし完全には説明できない。どんなに説明しても、言い尽くせないことが残る。だから、子どもたちはいつも「なぜ?」とたずねる。何度も、何度も、親が嫌になるほど。

 最初のうちは、親がどこまで説明してくれるか知りたくて、面白がってたずねるが、大きくなるにつれて、「なぜ?」をうまく使えば親の権威を揺さぶれることを理解する。あるいは、親がムキになることに気づく。

 だが、大人も同じ質問をして、このゲームを逆転させることができるのである。

 私はその方法をハンクに使った。

「どうして、ハンクには何を飲むか決める権利があるの?」

「わからない」と彼は肩をすくめた。「とにかく、あるんだ」

「それじゃダメだよ」と私。「権利があると言いたいなら、理由がなくちゃ」

 ハンクの頭が回転しはじめ、二つの理由を持ち出してきた。

「ぼくが何を飲むかパパが決めたら、ぼくが嫌いなものを飲ませるかもしれない」

 これを自己認識に基づく主張と呼ぶことにしよう。

 彼はさらに、「パパは何を飲むか自分で決めてるんだから、ぼくも何を飲むか自分で決められなきゃおかしい」と付け加えた。

 これを平等原則に基づく主張と呼ぶことにしよう。

子どもに真剣に説明する

 ハンクの主張は筋が通っているだろうか? 残念ながら話にならない。

 まず、自己認識に基づく主張から。私がハンクに嫌いなものを飲めと要求するおそれはほとんどない。たいていの夜、ハンクに与えられる飲み物の選択肢はミルクか水の二つだが、彼はミルクが好きだし、水にしても別に嫌いなわけでもない。

 また、この主張では、ハンクが自分の好きな飲み物を飲めるかどうかが重要だと仮定している。たぶん重要なことだ。だが、もっと重要なのは、ハンクには健康的な飲み物が必要だということだ。だから、親である私たちは水とミルクを与えているのだ。糖分たっぷりの飲み物は子どもにとっては特別なご馳走だろうが、好き勝手にさせたら1週間で糖尿病になってしまうだろう。

 次に、平等の原則について。この原則は、比較する両者が同等である場合にはそれなりに説得力がある。だが、ハンクと私は違う。私は彼より多くのことを知っている。糖尿病について知っているし、何をしたら発症するかも知っている。私にはハンクがまだ身につけていない自制心がある。

 もっと重要なのは、ハンクには私に対する責任はないが、私はハンクに対する責任があるということだ。私が何もしなくてもハンクは育つだろうが、身体だけは大人という子どもではなく、分別ある大人に成長させるのが親である私の務めだ。そのために、私は制限を設ける必要がある。飲んでもいいファンタの量は、制限すべき最たるものの一つだ。

 以上が、ハンクには何を飲むかを自分で決める権利がないと考える理由だ。その権利は私(正確にはジュリーと私)にある、と考える理由でもある。

 私はそのことをハンクに説明した。そして、大人になったら自分で好きな飲み物を選択できるようになることも伝えた。でもいまは、親の言うことを聞かなくてはならない

 その一方で、対立は早く終わらせたかったので、ハンクと取り引きをした。

「わがままを言うのをやめたら、こんどの土曜日にパパとママの友だちが訪ねてきたとき、ソーダを飲んでもいいことにしてあげよう」

「約束する?」とハンク。

「するとも」

「わかった」

 土曜日になって友だちが訪ねてきた。ハンクは真っ先に飲み物を確保しようと、ドリンクがある場所に向かいながら言った。

「ぼくにはコーラを飲む権利がある」

(本稿は、スコット・ハーショヴィッツ著『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』からの抜粋です)