通っていた小学校は1学年1クラスで、クラスメイトは30人ほど。山光は勉強に興味がなく、ほとんど授業を聞かずに過ごした。

「先生にはしょっちゅう怒られていました。勉強が嫌いというより、よくわかんないから興味がない。成績は常に最下位でしたね(笑)」

 

中学生になると、「さすがにこれはまずい」という親の計らいで近所のお姉さんから勉強を教えてもらうようになった。それで少し成績が上がり、高校に進学。バスで1時間かけて通学しながら、将来についてぼんやりと「学校の先生かな」と考えるようになった。

恩師や理想の教師を目指して、というわけではなく、自分の周りに親、親せき、近所の農家、教師しか大人がいない環境で、なんとなくの思い付きだった。

教師になるなら、大学に進学するしかない。現役受験に失敗した後、「東京は怖い」と横浜でひとり暮らしをしながら浪人生活を送った。1年後、駒沢大学の歴史学科に入学。「中学校の社会科の先生になろう」と考えてのことだった。

ローンを組んで購入した「Macintosh Plus」

運命を変える出会いは、大学に入学して間もない1984年6月に訪れた。たまたま手に取ったモノ系雑誌に、アップルコンピューターのマッキントッシュを紹介する記事が掲載されていたのだ。

山光は、それまでパソコンに関心を持ったことがなかった。しかし、アップル特有のフォントや画面表示と印刷が一致する「WYSIWYG(What You See is What You Get)」の実現、アウトラインプロセッサ(文書作成のソフトウェア)の導入などについて書かれた記事を読んでなぜか胸が騒いだ。

当時、マッキントッシュは日本語のOSがなかったため、突き動かされるように東京・秋葉原に向かい、NECのマイコン「PC-6601」を購入した。ところが満足できる性能を備えていなかったため、実家からの仕送りを節約してお金を貯め、シャープの「Super MZ(MZ-2500)」に買い替えた。それもやはり「おもちゃ感」が強い。

遠回りして「結局、マックしかないんだな……」と気づいた1986年、アップルが日本語版OS「漢字Talk」をインストールできる「Macintosh Plus」をリリースすると知って、胸が躍った。

「『これ欲しい!』と思ったんですけど、64万8000円もしたんですよ。それでさすがにアルバイトをしなきゃダメだと思って、缶に印刷する工場で夜勤を始めました。ガシャンガシャンってすごくうるさいから、時給が一番高かったんです。それで毎日働いて頭金を貯めて、ローンを組んで購入しました」