アップルオタクが集う会社員に

山光は「Macintosh Plus」に夢中になり、モデムが「ピーッ、ガーッ」となる初期のパソコン通信で情報を集め、昼夜を問わずいじり倒した。その勢いで、100万円近くしたアップルのレーザープリンター「LaserWriter」もローンで手に入れた。

「レーザープリンターって、自分で印刷物を作れるってことじゃないですか。それまで印刷物は素人が関与できないような世界だったのに、パーソナルなかたちで完結できるということですよね。それは自分にとってインターネットが世に出る前と出た後のインパクトに近しい感覚だったんです」

学生なのでたいした使い道はなく、マッキントッシュで書いたレポートをプリントアウトして提出する程度だった。しかしアップル製品について「もっと知りたい」という知識欲は留まることを知らず、秋葉原にあったアップル製品専門のショップ「イケショップ」でアルバイトを始めた。大学3年生の山光はほとんど大学に行かず、当時住んでいた三軒茶屋から週5日、秋葉原に通った。

当時のイケショップで働いている人の多くはアップルオタクで、もちろん山光もそう。アップルの熱狂的なファンにとって、仕事をしながら最新機器に触れられる職場はワンダーランドだった。細かな説明は省くが、「サンダースキャン」「ヘッドマウス」などユニークなマックの周辺機器を扱っており、社割で購入できたのだ。

ギリギリで留年を回避した山光は、就職活動をすることもなく、1988年、イケショップの社員になった。「あいさつに行く」と上京した両親は、社長に会った後、「頑張って」と言って帰っていった。

仕事は「宝探し」

イケショップは社員10人ほどの小さな会社だったが、日本にはすでに多くのアップルファンがいて、「売れる時はめちゃくちゃ売れた」という。そこでショップ店員として働いていた山光は3年目、印刷会社に転職した。ところが、数カ月後にはイケショップに復帰した。

「働いているうちに印刷の知識がついて、これからDTP(Desk Top Publishing/パソコンで印刷物のデータを作成し、プリンターで出力すること)が主流になると思ったんです。それでDTPを取り入れた印刷会社に転職したのですが、朝10時から夜中まで働き詰めの職場で、さすがにこれはつらいなと思って戻らせてもらいました」

イケショップは、もともと社長が住んでいた一軒家を社員寮にして共同生活を送っているようなアットホームな雰囲気の会社だったため、一度退職した山光も温かく迎え入れられた。